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すでに7年前のこととはいえ、一度書いておくとありがたいもので、演奏ばかりでなく、休憩の雰囲気や終演後の飲み会の会話までつい昨日のように蘇ってくる。

このとき連載で取り上げたのにはいろいろな理由がある。もちろん注目すべきモーツァルト演奏だったからこそモーツァルトをテーマにした連載エッセイで扱いえたわけだが、まさにこの演奏会で筆者にとって指揮者広上への評価が決定的になったのが、おそらく最大の理由である。

もちろん日本フィルの定期会員をつづけている関係で、それまでにこの指揮者の演奏には何回も立ち会っていた。1988年12月16日の日本フィル定期デビュー(マーラー《交響曲第6番》)、同1990年10月定期(メンデルスゾーン《交響曲第3番》とシューベルト《大ハ長調交響曲》)、日本フィル正指揮者就任披露となった1991年9月定期(グラズノフ《ヴァイオリン協奏曲》、レスピーギ《ローマの祭》、《ローマの噴水》、《ローマの松》)、同1992年6月定期(ラヴェル《スペイン狂詩曲》、ロドリーゴ《アランフェス協奏曲》、ファリャ《三角帽子》全曲)、同12月定期(秋岸寛久《三味線協奏曲》、ルトスワフスキ《パガニー二の主題による変奏曲》、ショスタコーヴィチ《ピアノ、トランペットと弦楽のための協奏曲》、べ一トーヴェン《交響曲第4番》)。

しかし個人的な感銘という点では、当たり外れが大きいと感じており、手放しで絶賛する楽員たちの言葉にも、半信半疑でなかったとは言えない。

このオール・モーツァルト・プログラムはちがった。最初から最後まで楽譜の読みから解釈にいたるまで、興味を惹かれっぱなしの、正統的でしかも過激なモーツァルト、つまりまずは日本の現代楽器オーケストラではふつう聴かれるはずのない演奏が実現していたからである。しっかりとした基礎、ちゃんとした勉強、よい趣味とすぐれた音楽性、それに何よりも自らの音楽をオーケストラに伝達する能力。これらがすべて揃っていてはじめて可能な演奏が一貫して一晩、しかもモーツァルトでつづいたのだから、そのような人物を本当の才能と認めずにいられようか。

 

その後この指揮者について書いていないのは、「これは」という演奏にめぐりあわなかったからではない。本人とすっかり親しくなってしまって、公の場には書きにくくなったためだ(自分で題材を選べる場に知人を賞賛する文を書くのは、「反則」の疑いが濃い)。

以前から面識がなかったわけではない。知人が広上の出た高校の教師なので、ずっと前に何かの演奏会のロビーで紹介されたことがあったし、ジェイムズ・ロッホラン指揮日本フィルの《第9》演奏会の帰り、東京音大の合唱団に加わって歌っていた(!)この指揮者が何人かの楽員と連れだって飲みに行くらしいところを間近で見たこともある。

しかし明確に知り合いとなったのは前記の文章を書いた少し後。指揮者はやがて日本フィル定期後の飲み会にもほとんど毎回姿を現わすようになり、場を大いに盛り上げた。そうこうするうちに、5年ほど前には、なんと男3人で真夏の熱海に1泊旅行までしてしまい(しかも広上の運転で!)、とうてい相手のことを雑誌などで論ずるわけにいかない近距離に入ってしまったわけだ。

近くで見る広上は、一見したところ、世間がイメージする指揮者や音楽家とはほど遠い。ある種のスターたちがわざとらしく見せかけるのとちがって、根っからふつうの人である(多くの音楽家たちは、育った環境や現在の境遇があまりにも「the rest of us」とちがっていて、どこかで言葉が通じなくなることがある)。

しかし最初の印象はすぐに変わる。「根っからふつうの人」がこんなに絶え間なく飲み、食い、話し、笑い、座を盛り上げつづけられるものだろうか。

 

 

 

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