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もちろん、男女の仲だからそうしたケースは十分ありえた。とりわけ、学生との貧乏ぐらしに飽きたグリゼットが金持ちのパトロンを見付けて乗り換えてしまうことはかなり日常的に起こっていたらしく、学生にとっては恋人の心変わりはつねに心配の種だった。この場合、パトロンとなるのは、たいてい、右岸に住む新興のブルジョワたちで、愛人を住まわせるのは、新しく開発されたばかりの、ノートル=ダム=ロレット教会の裏手のプレダ街のあたりと決まっていた。グリゼットから妾に「出世」したこうした娘たちは地区の名を取って「ロレット」と呼ばれた。『ラ・ボエーム』のミュゼット(イタリア語ではムゼッタ)はこの「ロレット」の典型で、のちには、「ミュゼット」が「ロレット」に代わって「お妾さん」の普通名詞として用いられるようになった。

 

『ラ・ポエーム生活情景』とオペラ『ラ・ポエーム』

『ラ・ボエーム』の原作であるミュルジェの小説『ラ・ボエーム生活情景』は、1845年から1849年にかけて『コルセール・サタン』という小新聞に連載されたのち、1851年に単行本化されたが、あきらかに、この小説は、こうしたミュッセの描いたグリゼットと、「ジューヌ・フランス」のボヘミアンたちを同じ話の中に登場させ、それに自らの経験を混ぜ併せてひとつにまとめあげたものである。いいかえれば、ミュルジェの小説は、ちょうど本歌取りのように、すでにある『ボヘミアンとグリゼット』の神話を前提として、それに多少の肉付けを施したものにすぎないのである。たとえば、女主人公の一人ミュゼットについて、ミュルジェはこう言っている。

「おお、マドモアゼル・ミュゼットよ!君はベルヌレットとミミ・パンソンの妹だ!青春の花咲く小道を、無頓着に彷径しながら走り過ぎる君の歩みをしっかりと描くにはアルフレッド・ミユッセの筆がなくてはならないだろう!」

ようするに、ミュルジェは、初めから、ミュッセのベルヌレットとミミ・パンソンを頭に入れて、ミュゼットを思い描いてくれといっているのだ。もちろん、ミュルジェの狙いは、オリジナリティではなく、ちょうど今日、原作の小説から漫画やTVドラマを脚色するように、通俗受けする紋切り型の登場人物を作ること、つまり『再話化』にあったのだから、それはそれで方針はまちがっていたわけではない。事実、後世に神話として残ったのは、ミュッセのベルヌレットとミミ・パンソンではなく『ラ・ボエーム生活情景』のミュゼットとミミのほうだった。もっとも、ミュルジェのこうした主人公が神話になるには、まずそれが舞台にかけられて『ラ・ボエーム生活』となり、ついでプッチーニによってオペラ化されて『ラ・ボエーム』となる必要があった。というのも、この三つの再話化の過程で、そのたびごとに、肉がそぎ落とされて単純化が行われ、どんな凡庸な観客の鑑賞にも耐えられるように類型化がなされたからである。

ところで、今日、プッチーニの『ラ・ボエーム』は繰り返し上演されているが、ミュルジェの『ラ・ボエーム生活情景』を読もうとするものは一人としていない。というよりも、現在では読むにたえないのだ。だが、ミュルジェのこの小説の存在が無意味だったかといえば、けっしてそんなことはない。というのも、この小説は、19世紀のカルチェ・ラタンに散らばっていた無数の青春の伝説を、ちょうど『グリム童話』のような形で再話化することによって、ひとつの神話にまで高めたという大きな功績を持っているからである。おそらく、ミュッセの二つの短編およびネルヴァルとゴーチェの回想だけでは、ラ・ボエームの神話は残らなかったにちがいない。青春の伝説は、ルーツにある悲惨な現実を捨象したときにのみ、神話として生き延びるもののようである。

(かしましげる フランス文学)

 

 

 

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