日本財団 図書館


グリゼットとは、下着女工や帽子女工など、自分の腕で生計を立てているお針子たちの総称で、いつも粗末な灰色の服を着ていたためこう呼ばれるようになった。彼女たちの多くは、口減らしのために親もとを離れ、パリの屋根裏部屋に一人で下宿して、将来は独立して店を持つことを夢見ていたが、わずかな給料では日々の暮らしだけで精一杯で、貯えは増えなかった。そんな彼女たちにとって、唯一の楽しみは、天気のいい日曜日に郊外にピクニックに行くか、あるいはグランド・ショミエールという舞踏場でダンスに興じることだった。夜は夜でグラン・ブールヴァールの劇場でメロドラマに涙を流し、カフェで食事をして、一週間の憂さを忘れる。こんなときに、グリゼットが、ボーイフレンドがいればいいなあと思うのは当然である。軟派の学生とすれば、そこが狙い目で、まず、だれか積極的な学生がグリゼットの一人と何らかの形でわたりをつける。あとは、ボーイフレンドのいないグリゼットにはその学生が友人を紹介してやるという形で両者の交際の輪が広がっていくことになる。最初の出会いは、たとえば、つぎのような偶然から起きることもある。

「彼はアルブ街の4階に住んでいて、草花の鉢を窓辺におき手塩にかけていた。ある日、水をやっていると、真向いの窓にふと娘の顔が見えた。とみるまに娘は笑いだした。なおもこちらを見る様子がいかにも晴れやかで、あけすけなので、いやでも会釈しないわけにはいかなかった。娘もにこやかに会釈で答えた。そのときから二人は、毎朝こうして道路をはさんで挨拶をかわす習慣になった」(ミュッセ『フレデリックとベルヌレット』朝比奈誼訳)

ところで、学生にしてみると、当時、中産階級以上の娘たちは婚前交渉が絶対にないようにという配慮から修道院などに入れられて隔離状態におかれていたから、気軽に付き合えるのはこうした下層中産階級の娘たちだけだった。『ミミ・パンソン』の冒頭で学生のひとりが告白しているように、グリゼットと付き合うのは、安上がりで済むという利点もさることながら、本当のところは、責任を取らなくてもいいというのが最大の理由だった。なにしろ、学生は、パリでこそ貧乏な暮らしをしているが、故郷に帰れば、みな公証人や弁護士、医者といった地方の名士の息子である。親の期待も大きい。だから、グリゼットは、時的な「現地妻」と割り切って交際することにしている。その点は、グリゼットのほうでも承知していて、学生と結婚できるなどとは考えず、その瞬間、瞬間に幸せであればいいと思っている。

だが、いくら割り切ったつもりになっていてもその通りにはいかないのが人生というものである。たとえば、もし、子供ができてしまった場合はどうするのか。フランスではつい最近まで中絶は禁止されていたから、妊娠した以上は産む以外になかったが、学生が親の承認を取り付けて結婚までこぎつけることは、身分制度がまだ残っていた当時としては、ほとんど不可能で、子供は私生児として生をうけることになる。それでも、父親がそばに残っていれば、子供も母もまだ幸せだろう。しかし、実際には学生が責任を取らず郷里に帰ってしまうケースがほとんどだった。『レ・ミゼラブル』に登場する薄幸のグリゼット、ファンチーヌは、恋人だった学生に捨てられ、人知れず、コゼットを出産するが、結局、女手ひとつでは娘を育てることができずに、娼婦となって身を持ち崩し、最後は、オペラ『ラ・ボエーム』のミミと同じように、結核で命を落とす。

ただ、学生がグリゼットと別れることができず結婚するというケースも皆無ではなかった。その場合、学生は、もはや法学部や医学部で学業を続けることはできないから、自らの階級を離脱して落伍者となる決意をしなければならない。ジョルジュ・サンドはこうして結婚した学生とグリゼットの間に生まれた子供だったが、父親が早く死んでしまったので、父方の祖母にそだてられることになる。

ところで、学生がグリゼットを捨てるのとは逆に、グリゼットが学生を捨てるということはありえなかったのだろうか。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION