「暑さと寒さの中で」
総監督 畑中良輔
壮大なローマ史の中、「最後の護民官」としてその栄光の頂点から破滅の悲惨に至る劇的一頁を刻んだ『リエンツィ』。ヴァーグナーをヴァーグナーたらしめた、彼の青春の記念碑的超大作の日本初演を終え、限りない昂揚の中に打ち上げも無事終了した時、舞台では既に解体が始まっていた。
人気もなくなったステージの背後、一番奥の壁のところへ私は一人立っていた。日本のどこのオペラ団も手を出そうとしなかったこのオペラの初演に、この壁までが装置として参加したのだ。建設以来照明などまともに当てられたことのなかったこの壁が、30年目にしてやっと光を一杯に吸って生き返ったのだ。いつも人々の意識の外にあったこの壁を、私はこぶしで叩いた。「壁君よかったね。一役買ったね。」と、心をいっぱいにして「ありがとう!またきっと出番が来るからね。待っててね。」
その時、私にはなにか壁が動いたような気がした。
出演者、スタッフ、裏方、職員、すべてが心を一つにしての市民オペラだ。そのどれもが欠けてはならない。「藤沢市民オペラ」を支えているのは、一人一人の“心の勁さ”にある。
そうして「壁君」は再び『ラ・ボエーム』にもその出番がありそうだ。
今回は壮大な「史劇」ではなく「青春劇」。それもパリはカルチェ・ラタン(ラテン区)での若い芸術家の卵達によるアンサンブル・オペラである。デリケートで傷つきやすい心を陽気さに紛らわせながら、青春の哀歓を描き出すこの詩的なオペラを演ずるために、炎天下の日々の中、「寒くて凍えそう」になる演技を汗だくで猛稽古の毎日なのである。
これに輪をかけて人一倍“熱い”指揮者の広上淳一氏が藤沢市民オペラに初登場。素晴らしいプッチーニが湘南の風に乗って響き渡るであろう。ヴェテラン、新人共々、広上=栗山コンビにより“世界へ発信し得るオペラ”をシーズン開幕に先駆けて皆様に送りたい。
暑さを吹き飛ばす“寒いオペラ”になってくれるだろうか。