第二〇回全国中学生人権作文コンテスト宮城県大会
最優秀作品
心の傷
仙台市立D中学校三年 H・A
私は、小学生の時に、大変怖い思いをした。登校の途中、車から降りてきた若い男の人に左腕をハンマーで殴られたのだ。
家からはほんの約一分の路上だったが、私はとっさに腕をふり切り夢中で逃げた。痛みが分からないほど動転して、怖くて怖くて体中ががたがた震えてすぐには誰にも言うことができなかった。
一時間目の休み時間に、思い切って保健室に行き、傷の手当てをしてもらった時、ようやく養護の先生に打ち明けることができた。養護の先生の連絡ですぐに校長先生と教頭先生が来て、その時の様子を詳しく聞かれ先生方に知らされた。
教室に戻って間もなくして、担任の先生が入ってきて、私の事件のことをみんなに話した。いっせいにみんなが私のことを見るのでとても嫌な気分になったのを覚えている。休み時間のたびに下級生や同級生が私の所へきては、「大丈夫。」「怖くなかった。」などと聞かれた。そのたびに私はすごく嫌だった。
その日は警察の人がきて現場検証に立ち会ったり、放課後は、母と警察まで行き、夜遅くまで、モンタージュ写真の作成に協力させられた。夢中だったので、はっきりとは犯人の特徴は覚えていないのに「百点満点中何点ぐらい。」「八十点。」「残りの二十点はどこが違う。」その問答のくり返しで、まるで私が犯人の様な気分になるほど追いつめられる気がしてとても苦しかった。
翌日からは、パトカーや先生方が、学校周辺をパトロールしてくれた。学校や家にマスコミの取材が来たりして、テレビや新聞に報道されたので私のことが有名になってしまった。お店に行くと私の名前まで知っていて根掘り葉掘り聞いてくる。周りの人がみんな私をおもしろがって見ている気がして、外に出るのが苦しくなった。
もっと嫌だったのは、学校の正門や事故現場、駅前に事件を知らせる看板が大きく設置されたことだ。私は微熱が続き、気持ちが不安定になり、学校に行っても教室にいられなくなり、保健室で先生と話をしては早退する日が続いた。気持ちの動揺からか、じんましんが出て、外科・皮膚科・心療内科に通うはめになった。
殴られたことや傷の痛みより心が一番痛かった。学校ですぐに言わなかったのが悪い、子ども一一〇番に助けを求めなかったのが悪いとか、しまいには狂言芝居といううわさまで流れた。