・1] 被害者はショックを受けて、すべてに不信感を抱き、感情を失う状態に陥る。
・2] 被害者は、立ち直ろうと努力するが、恐怖、悲哀、怒りの気持ちを抱き続ける。この状態の場合、助言や支援を申し出ても、拒否的な態度をとる。
・3] 感情の動揺が種々の形で現れる。事件の記憶が生々しく、あらゆることに無関心となり、社会生活から身を引く。こわがる気持ちが高まり、不眠や抑制状態が続く。
・4] それらの状態に応じた「処遇」がうまく行けば、事件と向き合う気持ちになり、その経験を自分自身の「生活感情」へと、取り込むことが出来るようになる。
・これらのプロセスは、具体的には、種々の形をとる。
(3) 被害者支援グループ「ado」
現在、ドイツ全土に、二十六カ所の専門的な被害者支援組織(アド ado)が活躍している。
adoの活動状況についての説明(クーベ判事は、ウィースバーデンの支援組織の責任者である)
(4) 被害者支援のスタンダード
各地の専門的な支援活動の質と量を平均化し、向上するための基準。支援組織の財政面、構成員面、施設面での充実のための基準。
4 全地域をカバーする白い環
一九七六年に設立され、犯罪被害者の支援と犯罪の予防を目的に、現在、七万人の会員を擁し、ロビー活動も活発に行っている。
全国で約四百カ所の「連絡所」に二千五百人のボランティアが属し、相談・助言等の支援を行い、金銭的な支援としては、弁護士との法的な相談を希望する被害者に、最初の相談料として二百五十マルク(約一、五万円を支給している)。一九九九年には、二千七百件を補助。
5 警察との協力
警察官署に「被害者保護/被害者支援ノルトライン・ウエストファーレン」というコンピュータ・ソフトを備え、事件の告訴を受ければ、直ちに適切な支援を提供出来る。特に、警察組合の被害者支援活動への取り組み。
6 被害者支援の古典的な任務の拡大
(1) 加害者・被害者和解(具体例)
一九八〇年代になって、刑事政策学者たちが各種のプロジェクトを手掛け、「和解による事件の解決」具体化を推進した。当初は、少年事件の解決に用いられたが、少年加害者が、自発的に被害者に対する慰謝の気持ちを持たずに「被害者との和解」を強制された場合、真の意味での解決にはならない。
一九九一年には、「加害者・被害者和解」と「損害回復」とを結合した形で、刑法46a条に規定が置かれた。この制度の適用の現状は、州によってかなりの相違がある。
(2) ビデオによる証人の聴取
一九九八年十二月一日の「被害者保護法」により、刑事訴訟法の一部改正が実現した。しかし、現実にこの改正条文が適用された事例は極めて少ない。
(3) 証人の付添/証人のための部屋
被害者を証人として「立証活動」をしていた段階から、一九八〇年代の終わりごろに、人格としての被害者の配慮へと転換した。
(4) 若干のプロジェクト
ベルリンでの「女性に対する暴力」に関連したプロジェクトの紹介。
性的被害のデータとして、一九九六年実施の調査によると、七人に一人の割りで女性がその生涯に性的暴力の被害を受けていた。
ドイツでは、年間四万人の女子が、約三二〇カ所の「女子の家」を訪れているが、特に多いのは、「家庭内暴力」の被害者である。
7 被害者と関連す刑事政策との文脈からみた被害者支援
「被害者の利益を認めることは、正義の要請にかなう」。被害者の保護を含む被害者の重要性は、専ら被害者を志向する刑事政策を標榜しなくても、将来は、今日以上に強く考慮されるに違いない(ギュンター・カイザー)
家庭内暴力の効果的な防止と被害者を志向する問題解決のためには、警察による緊急の危機介入と裁判所による迅速な保護と並んで、それと同時に、公的な機構と私的な機構とによる積極的な被害者支援が不可欠である(二〇〇〇年十一月の連邦内務大臣会議での合意)。このアピールを現実のものとするためには、すべての罰金刑の十パーセントを被害者に支援に投入することが望ましい。
暴力犯罪の八〇パーセントは、家庭内での暴力であり、刑事政策的な行動を必要としている。ハンブルクの例であるが、その地の「被害者支援」の関係者は、「暴力に対するトレーニングと助言」の企業を創設し、仕事中に受けた強盗や災害によるトラウマに苦しみ、精神療法による支援を必要とする社員を抱えている私企業を対象とした活動をしている。
ドイツの被害者支援運動は、アメリカやイギリスなど、外国における経験から学び、新たな支援の領域を広げている。具体的な対応例として、警察の「被害者保護オンブズマン」によるストーカー防止対策がある。