(イ) フランコニア号事件
1876年2月17日に、陸岸から1.9カイリのドーバー海峡でドイツ郵便船フランコニア号と英国船ストラスクレード号が衝突事件を起こし、英国船の乗客多数が水死した。被告のドイツ船船長の刑事責任を否定したこの有名な裁判判決が、19世紀後半の時代に認識されていた領海の法的性格を端的に表している(8)。判決の多数意見(コックバーン裁判長)は、国際法上、沿岸国が距岸3カイリ水域を自国海域とすることは認められているとしながらも、その海域に及ぼす沿岸国の権能の性格をめぐる意見の対立は大きいのであるから、これを沿岸国の領域(the territory of the realm)の一部と見ることはできないとのべている。また、国家間においても、低潮線を越える沿岸海域で外国人を処罰する管轄権は、中立違反及び歳入・漁業法違反を除いて行使されてはこなかった。したがって、本件海域において、海運法や刑事法を外国人に適用して処罰するためには、領域内の国内法令をそのまま適用することはできないのであって、領域外に適用する旨の議会制定法を欠いている以上、本件被告の裁判権はないと結論したのであった。この見解には、ラッシュ判事、ポロック判事、フィールド判事が同意見であった(9)。
本件判決は13名の判事によって行われたが、当時の領海の法的性格をめぐり、多くの意見が示されていた。グローブ判事は、3カイリ幅の海域(領海)は、陸域を流れる河川と同様にその国の財産であり、一般的支配権に服するとし(財産権説)(10)、ブレット判事は、領海とは領域の一部であり、その海域には陸域と同じ立法権及び執行権を持つ(包括的支配権説)と主張し(11)、またリンドレイ判事は、財産権説は否定するが、領海に及ぶ沿岸国権能は軍事紛争での沿岸保護、自国の歳入・漁業の保護及び警察命令の確保という事項に限られるものではなく、平和的な航行を別にして、自国の利益保護のために一般的支配権を及ぼすことができると述べていた(一般的支配権説)(12)。以上の三判事の意見は、領海内に沿岸国の刑事裁判権行使を肯定する結論を導くものであり、本件判決では少数意見に属する。