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ノルウェー近海は豊富な漁場であったため、早くから各国の漁船が出漁しており、特に公海での資源保護が必要であった。1959年には北東大西洋漁業委員会(North-east Atlantic Fisheries Commission: NEAFC)が設立されて、公海における地域的な資源保護の枠組みが整備されていた。同委員会の権限は当初は漁網の種類や漁獲可能な魚の大きさ、禁漁期間、禁漁区域の設定等の勧告に限られていたが、1974年以降は漁獲可能量の決定権限も与えられるようになった。

NEAFCの漁獲可能量の決定は国際海洋探査協議会(International Council for the Exploration of the Sea: ICES)からの勧告にもとづいて行われていたが、最終的な決定にいたる交渉の過程で適正量を上回るようになることが多かった。また、執行権が最終的には違反船舶の旗国に留保されていたため、資源管理は有効でなく、資源の枯渇の可能性が出ていた。そのため、ノルウェーは、トロール漁業の禁止区域の設定など、資源保護のための沿岸国管轄権の拡大を指向するようになり、1975年にソ連を含む数ヵ国との間で12カイリ外の水域でのトロール漁業の禁止することなどを規定する漁業協定を締結した。また、ソ連とは同じ年に漁業協力協定を締結して漁業共同委員会を設立して、ICESの勧告を基礎とした漁獲可能量の決定を行うことになった。

1976年になると両国は200カイリ水域の設置を前提とした漁業協定を締結し、双方の水域での相手国の管轄権を承認して、両国に共通する魚種の保存・管理に関する協力枠組みを設定し、双方の水域に相互に入域することを承認した。協定では、両国それぞれの水域内のみに生息する魚種の場合は沿岸国が排他的な管轄権を行使し、両国の水域にまたがって回遊する魚種に関しては、漁業共同委員会の協議を通じて規制措置を決定するものとされた。

1976年の協定上、バレンツ海の主要魚種であるタラやシシャモは漁業共同委員会の審議対象となるものであったが、それらの魚種の保存措置に関しては両国の立場の違いが大きく反映して、委員会で折り合いのつかないことが多かった。委員会で合意できない場合には、双方の一方的な規制になり、両国で異なる漁業規制が行われることもあった。漁業共同委員会の決定の執行に関しても、共同取締り等の規定はなかった。そのため、両国が異なる漁業規制を実施する場合には、バレンツ海のように両国の主張が重複している水域では異なる取締りが行われる可能性があった。

 

 

 

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