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後ろ髪を引かれる思いであったが現場を離れるにあたり、総員で1分間の黙とうを実施し、移動用のバスに乗り込んだ。

私にとっては初めての陸上での出動であり、しかも指揮を執らなければならない。皆にとってはこのチームで初めての作業であった。器材は予め現場ごとに振り分けてあったが、もし、自分で決定して持っていくことになったら必要なものを必要なだけ持って行けただろうか。しかしこの作業を通じて3班は、「人の集まり」から「救助を行う目的を持った生きている組織」に変化した。

(2) 生存者救出

レスキューチームが生存者を救出するのは当たり前のことである。しかし、国際派遣で時間がかかり、大規模な災害に出動する国際緊急援助隊は生存者救出の前例がなく、悲願であった。

生存者確認の情報は19日の昼前に入った。前日からのほとんど徹夜の作業を終え、現地対策本部に帰り、その後付近現場での検索を既に2〜3箇所終了したところであった。「生存者確認、人員と器材の応援頼む」この第一声に緊張感が走った。班員を大声で呼ぶ。携行器材を読み上げる。器材をチェックする者、バスに積み込む者、ただ、1秒でもいいから早く現場に行き、救助作業にかかりたかった。これは皆同じ気持ちだったと思う。

現場に着くと、すぐに要救助者を確認できた。衰弱が見られたが意識があった。ここまで瓦礫の間でがんばった要救助者のために何としても救助しなければならない。作業は、スプレッダーや木材で作った筋交いで入口を確保しつつ、ノコギリ、ナイフ等で瓦礫を切り開くというものだった。入口は高さにして約50cmしかない。隊員は寝そべった姿勢で作業をすることになる。気温は35℃を超えている。途中、何人も交代しながらの作業となった。他の隊員も筋交いの作成、搬送経路の確認、記録などの諸作業にあたった。

そして1238(現地時間)74歳女性の救助に成功した。彼女の体を傷付けないように細心の注意で全ての瓦礫を取り除き、現地の医者と連携してクラッシュシンドロームに気を使いながらの救助であった。作業中我々は全く気がつかなかったが、周囲には一目、この奇跡の生還を見ようとする地元住民が500人あまり集まっていた。

 

 

 

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