しかし作業を少しでも止めると地元関係者達が「どうしたのか」と聞いてくる。「燃料が来たので機械を使用する。準備ができるまで少し待機する。」と答えた。普段、我々の現場にはあまり「ヤジウマ」がいない。しかしこの時の「ヤジウマ」は深夜を回っているにもかかわらず50人くらいいた。休憩するのも説明が必要なのである。
この後の作業は効率よく実施できた。班員も応援で2名が合流した。ただし倒壊した建物である内部は非常に換気が悪かったので、機械の排気ガス対策として有機ガスマスクは必ず着用することを義務づけた。また脱水対策として外で建物の見張りをしていた者に時間を15分計ってもらい交替制として給水時間及び換気時間を確保した。それでも内部の雰囲気は極めて悪く脱水とエンジンの排気ガスには苦しめられた。
こうして要救助者に削岩機の歯を当てないように細心の注意を払いつつ天井を壊していき、要救助者の上にあった天井(鉄筋コンクリート)をすべて取り除くことに成功した。この時救助した2人は若く、互いに体をかばい合うような形で倒れていた。男性の手が女性の頭の上にあったことからもこの事がうかがえた。
彼らを外へ出すとそれぞれの遺族が車に乗せ連れて帰って行った。我々は、初めて救出した事案だったこと、遺族が泣きながら握手を求めてきたこと等もあり車が出る時に現場にいた救助員総員で敬礼し見送った。若い2人の犠牲者、その遺族、最初の現場にて、徹夜で全力を尽くした達成感や疲労感、様々な思いに隊員の目に涙が浮かんだ。
さて残りの確認していた2遺体であるが、これを出すためには壁を崩さなければならないこと、これにより建物自体が完全に崩壊する恐れがあることから作業はできないと判断した。しかし付近にいた関係者の中に「壁の下敷きになっているのは自分の息子である。」と主張するものがいた。救助が難しいことをトルコ語通訳を介して説明したが、なかなか理解していただけなかった。気持ちは充分に分かるが我々の保有器材ではどうしようもない。今回の派遣で最初に感じた無力感であった。
夜が明けると、「今の現場を離れ現地対策本部に集合せよ。」と連絡が入った。まだ土中に埋まっている方、瓦礫に閉じ込められている方が多数いるのにもかかわらず次の現場に向かわなくてはならない。