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3. 現場では

私自身、多くの現場を見たので全部を完全に覚えているわけではない。ここでは特に記憶に残っている2例について述べる。現地に到着後、最初に行った現場と、生存者を救出するに至った現場である。

(1) 最初に行った現場

現場に到着したのは、18日2100頃であった。トルコはサマータイムを採用しているので2100でも何とか見えるという明るさであった。付近に建物が何軒も建っていたがほぼ全てが全壊、半壊の状態であった。現地の人たちの話を聞くと集落の入り口付近にある建物と、奥の建物の2個所で人が確認されているという話であったのでそこを現場とした。班員は3班に分かれていたので1、2班が奥の建物へ、私が所属した3班は入り口付近の建物を担当することとなった。

この建物は4階建ての建物で1階がディスコになっていたとのことであった。また発災時、中には35名いたが、20名は無事脱出し15名が行方不明になっているとのことである。1階部分は崩壊し2階部分の天井が完全に落ちていた。それでも少しのスペースがあり生存の可能性をかけて捜索した。

建物の状況から「次の余震には耐えられないのではないか」という不安が常に付きまとった。それでも中に入ると図の位置に要救助者を発見することができた。壁付近の人は性別不明、2人重なっていたのが男性と女性、最後の一人が女性であった。壁付近の人以外は落ちた天井の下にいた。重なっていた男性及び女性以外は壁や重量物を撤去する必要があり、場合によっては重機を使用しなければならない。そこで重なっていた男性及び女性を救助することとした。

当初の人数は総員6人であり、ガソリンがまだ到着していなかったので、削岩機及びエンジンカッターは使えない。ストライカー、ワイヤーカッターと現場付近に落ちていた大ハンマー、大バール、大ワイヤーカッターを用いての手作業となった。

とにかく今ある器材で天井を壊すしかない。2〜3人で交代して天井を壊す作業を実施した。他の者は、崩した瓦礫を取り除く作業をした。削岩機が使えるようになるまでは、手作業で先の見えない作業が続いた。

ガソリンが到着すると一旦全員で休憩を入れ、水分を補給した。全員かなり汗をかいており、脱水となっていた。

 

 

 

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