'01剣詩舞の研究 10] 群舞の部
石川健次郎
剣舞「筑前城下の作」
詩舞「長安春望」
剣舞(群舞)
◎詩文解釈
この詩の作者、広瀬淡窓(一七八二〜一八五六)は九州大分出身の学者であり詩人で、青年時代に筑前(福岡)で学び、博多湾を望む筥崎八幡宮の楼門にある「敵国降伏」の勅額を見ては元寇(げんこう)の役(えき)をおもい、また神功(じんぐう)皇后の征韓を追想したことを述べ、後半では当時(この詩が作られた時点の事、現代より約二百年前の江戸時代後期)」の筑前城下の繁栄の様子を述べたものである。
詩文の意味は『筥崎宮の「敵国降伏」の額がかかっている楼門のあたりは、波が天高くうち上げ、また元(げん)の船の襲来に備えた石垣は波に洗われながらも昔の姿をとどめ、神風で元の兵士達が海中に没したという跡や、さらにここから三韓征伐に赴いた神功皇后の逸話も伝えられている。ところで現在(いま)は、城やその周囲の石垣が月に照らされて海面に影を浮かべ、夕暮れになるとたち込めた靄(もや)の中から三味線や歌声が聞こえてくるのである。こうした平和な暮しを裏付けるように、岸辺の柳につながれた商船がここそこにあって、その繁栄ぶりがしのばれる』というもの。
◎構成振付のポイント
前項でも述べたように、この作品は江戸時代後期の筑前城下の今昔を詠(うた)ったもので、前半は歴史的な事跡、後半はその頃の情景描写で構成されている。この前後の関連について考えてみると、作者の心情である先人達が郷土を愛した行動が現在の平和と繁栄につながると云った訴えが感じられるので、舞踊構成の上でも一つのポイントにしたい。
然し振付については、剣舞の動きを優先した例を次に述べよう。まず前奏から一句目にかけて、蒙古襲来の抽象表現として刀を波形(刀を上向)にかざして全員下手より体形を変化させて登場する。刀の代わりに扇で波を表現してもよいが、二句目からは日本側が元に反撃する剣技を展開する。具体的には詩文にこだわらず、二句目は揃い振り、三句目はそれぞれに四方の敵と戦う乱れを見せ、刀や弓矢による動作や、また兵士の手負いの振りを取り入れて変化を作る。なお扇を使い一部の人が神風(かみかぜ)で波間に巻込まれる動作を組み合わせることも面白い。四句目は三韓征伐の象徴として、神功皇后を中心にし、左右を固めた体形の動きでまとめ上げる。後半も剣技に重点を置くのであれば、五・六・七の三句は、例えば武人の性根で刀を月光にかざし、順次居合の型を見せ、最後は揃い振りの型を見せて、最終の八句目も詩文とは異なるが船上の設定で、中心の人物が刀を捧げ、左右の者がからんだ振りの後に、全員が櫓を操る振りで退場する。