帝国憲法の発布
西南戦争も西郷隆盛一統の自刃という結果に終り、明治十三年八月三十一日には大正天皇になられた嘉仁(よしひと)親王皇子が降誕になり、明治二十一年には地方自治の制度が確立し、そして明治二十二年二月十一日には紀元節の佳辰に明治天皇が宮中正殿に立たれ、親王大臣をはじめその時の日本最高の百官有司を召されて、大日本帝国憲法を発布された。其の時の日本政府の重鎮ま次のようであった。
内閣総理大臣 伯爵 黒田清隆
枢密院議長 伯爵 伊藤博文
外務大臣 伯爵 大隈重信
海軍大臣 伯爵 西郷従道
農商務大臣 伯爵 井上馨
司法大臣 伯爵 山田顯義
大蔵大臣 伯爵 松方正義
内務大臣 〃 〃 (兼任)
陸軍大臣 伯爵 大山巌
文部大臣 子爵 森有礼
逓信大臣 子爵 榎本武揚
と言った人々がその時の閣僚であった。
そして翌明治二士二年十一月二十五日には第一帝国議会が開かれ、立憲君主国としての日本という国の政体が全く成ったのである。
維新第二期の政治家