天下の西郷が起(た)ったと聞くや全日本から数多くの共鳴者が立ち上がり、あわや天下の大乱になるかとおもわれたが、熊本城を守っていた谷干城中将麾下(きか)の官軍(乃木希典中佐、小倉聯隊も含め)が能(よ)く守り、激戦数十回の後薩摩軍は敗色が濃くなり、吉次峠、延岡、日向と追われ、遂に故郷鹿児島の城山で大西郷も自刃して果ててしまっている。
さて、又ここで西南戦争から日清戦争までの間の御製を味わせてもらうことにしよう。
人間天皇の御製(二)(明治十一年〜二十七年)
新(あた)らしき年(とし)のほぎこという人(ひと)に 後(おく)れぬ今朝(けさ)のうぐひすの声(こえ) (明治十一年)
池(いけ)の面(おも)のはちすのつぼみ数(かず)そひて ひらく待(ま)たるる昨日(きのう)今日(きょう)かな (明治十二年)
春(はる)の日(ひ)の光(ひかり)も見(み)えて降(ふ)る雨(あめ)の 軒(のき)に落(お)ちくる音(おと)ののどけき (明治十三年)
霧(きり)はれて風(かぜ)しづかなる秋(あき)の夜(よ)の 月(つき)にすみゆく虫(むし)のこゑかな (明治十四年)
はるの日(ひ)の光(ひかり)をうけて咲(さ)きにけり 濃(こ)きくれなゐの梅(うめ)の初花(はつはな) (明治十五年)
さきみちし梅(うめ)の梢(こずえ)にふれつらむ けさふく風(かぜ)のかぐはしきかな (明治十六年)
信濃(しなの)なる川中島(かわなかじま)のあさ霧(ぎり)に 昔(むかし)の秋(あき)のおもかげぞたつ (明治十七年)
冬がれてまがきの菊にきせわたの おもかげみせてむすぶ霜かな (明治十八年)
短夜のあけぬうちより咲きそめて たれをまつらむ朝顔の花 (明治十九年)
にごりなき池(いけ)の汀(なぎさ)による波(なみ)も 音(おと)せぬ世(よ)こそたのしかりけれ (明治二十年)
海原(うなばら)はみどりにはれし浜松(はままつ)の こづえさやかにふれる白雪(しらゆき) (明治二十一年)
さざれ石(いし)の巌(いわお)とならん末までも 五十鈴(いすず)の川(かわ)の水(みず)はにごらじ (明治二十二年)
風(かぜ)の音(ね)は静(しず)まり果(は)てて千代(ちよ)よばふ 田鶴(たづ)の音(ね)たかし峰(みね)の松(まつ)ばら (明治二十三年)
夜(よ)あらしに池(いけ)の汀(みぎわ)やこほるらむ 遠(とお)ざかりけりあしがものこえ (明治二十四年)
山(やま)の端(は)にかかれる雲(くも)の晴(は)れそめて のぼる朝日(あさひ)の影(かげ)のさやけさ (明治二十五年)
霧(きり)ふかき峰(みね)とびこえてふもと田(だ)に いまか落(お)つらむ初(はつ)かりの声(こえ) (明治二十六年)
心ありてたれかさしけむ花(はな)がめの ふかくも匂(にお)う梅(うめ)のひとえに (明治二十七年)
夏(なつ)ふかき木(こ)の間(ま)がくれに見(み)し月(つき)の かげははやくも庭にさしけり (明治二十八年)
維新第一期の政治家