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'01剣詩舞の研究 8] 一般の部

石川健次郎

 

剣舞「那須与一宗高」

詩舞「和歌・久方の」

 

剣舞

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◎詩文解釈

作者の松口月城(一八八七〜一九八一)は福岡出身の詩人。歴史的な武将に因んだ作品も数々あるが本詩もその一つである。

那須与一は鎌倉前期の武将で、下野国那須の出身、源平合戦では源義経の軍に属し、元暦二年二月屋島の合戦の時に、平家側の舟に掲げた扇の的を、義経の命令で射落した話は有名である。作者松口月城はこの故事を元に作詩したのであろうから、この事件を更に詳しく述べ、また那須与一の心情を究明してみよう。平家物語によると、日も暮れた頃、沖の方から舟一艘が寄せて来た。見ると十八、九ばかりの優にやさしい女房が日の丸を描いた紅の軍扇を舟の縁板(へりいた)に立て、岸辺(源氏方)に向ってさし招いていた。義経が「味方にあの扇を射落とせる者はあるか」とたずねたところ、那須与一が選び出された。与一は射損ずれよ味方の恥と辞退したが許されなかった。頃は二月十八日酉(とり)の刻(午后六時)、北風激しく、打ち寄せる浪も高かった。与一は黒馬に乗って水際迄進み、目をとじて「南無八幡大菩薩、わが生国の神明、日光権現、宇都宮・那須湯泉(なすゆぜん)大明神、願わくばあの扇の真ん中を射させ給え。もし射損ずるものならば、弓折り自害して、ふたたび人に顔を合わさぬ覚悟、どうかこの矢を射損じませぬよう守らせ給え。」と心の中で祈念し、目を見開くと風よ少し収まり、扇も射やすくなっていた。与一は鏑矢(かぶらや)を取って番(つが)え、思いきり引きしぼって、ひょうと放った。その矢は長鳴りして、誤たず扇の要際(かなめぎわ)一寸ばかりおいて、ひいふっと射切った。扇は空へ舞い上がり、しばし空中にひらめいたが、春風に一操二揉(もみ)もまれて、海へとさっと散っていった。夕日の輝く中を総紅(みなくれない)に日の丸を描いた軍扇が、臼波の上を漂い、浮きつ沈みつしていたので、沖には平家が舷(ふなばた)を叩いて感じ入り、陸には源氏が箙(えびら)(矢を入れて背負う道具)を叩いてどよめいた、と記されている。

詩文は以上のあり様を各句に詠み込んだもので、物語りは簡略化され、詩文の意味としては『今まさに我が命をかけて神に祈った矢が弓に番(つが)えられた。那須与一の心情は計り知れぬものがあった。源平の合戦には、この様な詩情に心を揺り動かすことも多いが、与一の矢は見事に射切って、軍扇はひらひらと波間に落ち、彼の偉業は称えられた。』と云うもの。

 

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那須与一(部分)

 

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平家物語画帳(扇の的)

 

 

 

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