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後奏は納刀して静かに退場するが、全体を通じて一人称で振り付けるとよい。起句から承句への変化は足の運びなどに工夫をこらし、転句での手を縛められる振りは、下げ緒を利用し、狂言の「棒しばり」を参考にするとよい。

 

◎衣裳・持ち道具

志士らしさう出すためには黒紋付に地味な袴がよく、扇はあまり必要としない。

 

詩舞

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五合庵(大正3年再建)

 

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舞踊「良寛と子守」六代目菊五郎の良寛

 

◎詩文解釈

作者の良寛(一七五八〜一八三一)は越後出雲崎の出身、生家の名主(なぬし)を継がず、十八歳で出家、二十二歳から数年間、備中玉島円通寺の国仙和尚に從って学び、以来二十数年は修業のため諸国を行脚して、四十七歳で帰国、西蒲原郡国上(くにがみ)山に庵(いおり)(五合庵)を結んで十三年間ここに住んだ。良寛は僧侶でありながら生涯寺を持たず、托鉢して回りながら農民と交わっては酒をくみ、また特に子供達と毬(まり)つきの遊びを楽しみ、そして歌を詠み、書をかくと云う自由で無欲な生活を送った。

この作品は良寛が山房(五合庵)で詠んだもので、詩文の意味は『自分が過してきた五十年余りをふり返ってみると、世の中のすべてのことが夢の中のことの様に思われる。自分は今、五月雨の降る山の中の庵で、独り静かに物思いにふけっていると、夜の雨はさびしく窓に降り注いでいる』というもの。

 

◎構成振付のポイント

この作品の決めては、抽象的な詩文を如何に具体的なイメージで表現するかにある。詩文では、これまでの五十余年を回顧した内容が説明されていないばかりか、「一夢の中」の意味も、夢の様に、くるくると楽しい事や又は辛いことの思い出が巡ってくるのか、それとも夢の様に儚(はかな)く消え去ってしまったという諦めの気持なのかで、作品の内容も変るであろう。

從ってこの作品は、或る意味では構成振付者の自由な選択が許される部分があるので、詩舞作品としてはあまり深刻がらずに、巷間に伝えられた良寛の人となりを構成に生かすとよい。

次に一例を述べると、まず前奏から諸国行脚の気持で登場。起句は旅の風景描写として遠くの山々を眺め、笠をぬいで汗をぬぐう。承句は道端のお地蔵様に気がつき礼拝していると、そこに手まりがころがり込んできたので、取り上げて辺りを見回し、子供に返してやると云ったやさしさを踊りの仕草で見せる。転句は子供のまりつきに気をとられていると雨が降ってきたので、笠で雨をさけ、自分も庵に駆け込む。結句は坐禅をするが雨の音が気になり、思い出したように一句読もうと筆を取り上げるが、考えているうちに、こっくりと居ねむりを始める。以上の様な骨組に、良寛の人間味を考えて振付するとよい。最後は後奏で静かに立ち上がって退場する。

 

◎衣装・持ち道具

托鉢のときや、日常に良寛が着ていたものは大変質素で、ねずみ色の布子や、よれよれの黒の僧衣だったと云うから、詩舞の衣装としては、黒紋付にグレーの袴が似つかわしい。女性の場合もなるべく地味なものがよく、扇も薄い地味な地色に、雲型や霞模様のものを用いる。

 

 

 

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