“豪気堂々大空に横わる”という最初の文句など、実に堂々としている。
<訳>大空を見ていると豪壮雄大な気がみなぎってくる、日本帝国の国威を隆昌に導く者は誰であるか(わが輩である)高楼で酒を飲みつくしている。天下の英雄(張良、ナポレオン、ジンギスカン等)何者ぞ我が輩の眼の中に入ってしまうではないか…
俗に言う“眼中になし”という意味である。
<訳>人生は五十年である。泣いて暮すも笑って送るも五十年だ、宜しく好きな酒は飲むべし、詩も作るべし、みなこれら娯とすべし。何ごともちゃんと一つだ。さあ丈夫は一度機会をとらえたら天下の宰相になってみせるぞ。賢いだの馬鹿だの言う必要はない。
<訳>元旦の朝旭日が扶桑(日本の異称)の東海の果てから赫灼(かくしゃく)として登って来た。のどかな風(長風)が吹きわたり、山にかかっている雲を吹き払い、一万三千尺の富士山が大空にそそり立ち、八朶芙蓉(富士山のこと)が自分の面前にあらわれた。
北海道へ行かれた時、今も同じくロシアの東侵することを憂いてうたわれた“石狩”という詩がある。
<訳>臣伊藤博文は忠狂(忠義一点ばり)の人間である。その点だけは誰も疑う者はない。陛下を奉じ孜孜(しし)(一生けんめいの形容)として御奉公申し上げ、あえて疲れを知らない心を虚しくしてただ一筋に神様(天照大神)にお願い申し上げる丹誠を披瀝して衷心から御願い奉ります。…
乃木大将は二〇三高地の詩を作るにあたって二〇三を爾霊山と題して作っているが、伊藤博文公はそのまま二百三高地として次のような詩を作っている。
<訳>二百三高地が激戦の地であったということは夙に聞いていたが、この山には我忠勇の将士一万八千人もの戦死した人の骨が埋っているかと思うと今日この山に登って実に万感こもごもである。
暗然として空を仰げば白雲がいたずらに去来して、当年の激戦の様子を訴えているかの如くである。