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吟詠の音階は短調に属します。(図参照)そして声の出し方は概して暗い声が多い、と言えるでしょう。実はそこが問題なのです。題材となる漢詩、和歌などはそれぞれ情趣が違います。それを暗い声一色で塗りつぶしてしまったら、味気なく、豊かな音楽性も生まれません。中間的なニュアンスを出すことは次の課題として、少なくとも明・暗両極の声の出し方については、しっかり勉強していただきたいと思います。

 

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耳を鍛えて、感じをつかむ

では、明・暗二つの声は基本的にどこが違うのでしょう。一番の違いは声に含まれる倍音の中身です。「響き」という言葉がもっとも近いと思います。和音の話は多少ややこしいのですが、明るい音、長調の基本的な響きは(音階図の)I・IV・Vをもとに、音を三つ重ねた和音、暗い短調の基本的な響きはi・iii・ivをもとに音を三つ重ねた和音です。長調、短調を性格づけるのは、二つ目の音が短調では半音低いということ。従って同じ「ド」の音を出しても、長調のド(ドミソという明るい響きを持った倍音)と短調のド(ラドミという暗い響きを持った倍音)では、含まれる倍音が変わってきます。問題は吟者が技術的にどうやれば明と暗の倍音を使い分けられるかです。

初めは、あなたの耳を鍛えてください。例えば長調なら長調の歌、曲を何回も聴くことです。明るい響きとはこういうものなのかと、耳を通して体得してください。古いところでは終戦直後に流行した「りんごの歌」。「赤いりんごに、くちびる寄せて」という明るい歌声が、打ちのめされた人々の心を勇気付けてくれたものです。洋楽の軽快な歌を聴く、あるいはラジオ歌謡などにも明るい声がたくさん出てきます。さきに挙げた「三百六十五歩のマーチ」では歌手が生粋の演歌畑のせいか、どうしても短調のような響きが入りこんでしまう。長調の手本としては多少難があると言ったのはそのためです。反対の短調については(倍音を中心に考えれば)少壮吟詠家、歌謡曲・演歌歌手、などに多くのお手本があります。大事なことは、メロディーだけでなく伴奏を含めた音の響きを感じ取ることです。

「明」の声について強いて言葉で表せることといえば、音程はどちらかというと、気持高め、響かせる場所は胸から上の方、微笑むような顔の表情で歌うと長調らしい声がでるように思います。暗の声はその逆と考えればよいでしょう。よく訓練して、詩情に合った響きが自在に操れるようにしたいものです。

吟詠を伴奏する側から言いますと、琴、尺八は詩の内容に合った和音(または分散した和音)で曲を編成しています。解りやすく言うと、明の曲は長調の和音で、暗の曲は短調の和音で構成されますから、仮に伴奏が明を奏でていても、吟詠が暗の倍音で響かせたのでは、吟と伴奏がそれぞれ別行動していることとなり、融和した音楽にはなり得ません。聞き手は「何かシックリこないな」と感じるでしょう。ジャズ・トランペット奏者のマイルス・デイビスという人は「私は一つの音(ミならミの音)でも二十種類くらいの音を吹き分けることができる」と語っていたのを覚えています。楽器でさえこれだけ多彩な表現ができる、まして感情表現が専門ともいえる人の声を使って様ざまな音楽表現をする、訓練次第で必ずできると思いませんか。

 

 

 

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