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学習院々長となり大勢の子供を得て喜び育てる乃木希典

 

いさをある人を教えの父として おほしたてなん大和(やまと)なでしこ

 

明治四十一年五月二十七日に露国戦死将校の碑の除幕式に満州へ招待された時は、静子夫人を同伴で、旅順戦の跡、つまり勝典、保典戦死の場所を夫人に見せたかったのであろう。夫婦揃って白玉山に登り、戦死者の納骨堂に詣でた。

その三年後、明治四十四年二月十四日、英国皇帝陛下の戴冠式に、東伏見宮衣仁親王殿下の随行員として、日露戦役、陸の戦闘旅順の花、乃木希典将軍と、海の戦闘日本海海戦の花形東郷平八郎将軍という豪華な随行をつれて欧州へ行かれたので、欧州ではたいへんな歓迎であったそうである。

 

遺書に見る将軍の気骨

そして遂に、明治四十五年七月三十日、明治天皇が崩御された。

乃木希典将軍の悲しみは筆には尽くせない程であった。よく知られている乃木夫妻の殉死―これについては甲論乙駁があるが、将軍という人は、田原坂の戦争で自分の連隊の軍旗を敵軍に取られた時、自刃するつもりであり、また旅順攻撃の時、親子三人一緒に葬式を出すと言っている如く、すべて明治天皇に命を預けているという固い信念で一生を生きてきた人であり、佛教で言う無我即大我、盡空妙有、色即是空、空即是色の大悟徹底した魂で生涯を貫いた聖者である。

幸い乃木さんの遺書の文面を入手できたので、その一部(終わりの方)を載せておく。

「此の日、希典、最後の御通夜とて黒衣の洋装をしたる内室(静子夫人のこと)を打ち連れて出仕し、御通夜申し上げたり。希典の内室が宮城に入りしは是迄なきことなれば人々目ざましく思いぬ。同十三日午前九時宮内省より廻されし自動車に乗りて夫妻参内し、宮中桐の間の霊轜奉安の御儀式に参列し、其の夜午後八時、御大葬の弔砲の鳴ると同時に夫婦ともに家に在りて一室に端坐し、明治陛下に殉死し終えぬ。希典自刃したるはその家の二階奥まりたる八畳室畳敷西洋間にして、宮城に面したる方に机を置き、大行天皇の御真影を其の上に奉安し、真榊を供え、辞世の歌及び遺書を置き正装端坐し、軍刀(中身は日本刀)を以って割腹し、更に頸部を右より左に貫きて前方に伏し居たり。

内室は第一装の喪服を着し希典に並びて端坐し、白鞘の短刀にて左胸心臓部を刺して前方に伏し居り毫(ごう)も取り乱すことなかりき。希典」

 

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静子夫人

 

 

 

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