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詩舞のための日本人物史102

文学博士 榊原静山

 

乃木希典(1849〜1912) ―その3(完)―

 

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陸軍大将の礼装をした乃木希典将軍

 

「どの面さげて…」

乃木希典第三軍司令官は明治三十九年一月十七日に輝かしい戦果をみやげに、凱旋将軍を迎える儀装の馬車を綺羅星に飾って新橋駅に横づけにされた。

出迎えには日本陸軍の将星が燦然(さんぜん)と光る金モール服の波をうたせていた。ところが馬車の中の花形であるべき乃木将軍は、一年有半の戦塵にまみれてよごれた肋骨(ろっこつ)モールの黒の普段着の軍服に、よれよれの白ズボンという疲れた格好であった。そして街の両側には天地も裂けよとばかり、万歳万歳の出迎えであった。

普通の人ならば肩をいからせ、胸を張って人々に答える筈であるが、乃木将軍という人は…

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<訳>百万の日本軍が露西亜(ろしあ)遠征をした。そして、野戦や要塞戦に力戦猛闘、忠君愛国の兵の屍が山のように築かれてしまった。これ程多くの兵士を失ったことはみな私の罪で申し訳ない、どの面下げて死んだ兵士の年とられた父や母にあわす顔があろうか。今日凱歌に迎えられて帰って着た兵士が大勢出征した中から何人が帰ってくることが出来たであろうか…

乃木さんならではの言葉である。この言葉を聞くと明治生まれの私は涙が止まらない。

その後のことであるが、乃木さんが長野県のある女学校へ招かれて日露戦争の講話を依頼されて壇上へ立った時のことである。司会者に紹介されて立つには立ったが、壇上で五分も六分も口が開けず黙っておられて…やがて…

「私は皆さんの兄さんやお父さんを殺した乃木であります」

と言ったきり丁寧に頭を下げ演壇上にひれ伏したままであった。

この時の乃木さんのこの一言は百万言の大演説よりも聴衆に感激を与え、満場粛然と襟を正したと思うと、あちらからもこちらからも鳴咽(おえつ)の声が聞こえ、遂に全聴衆が顔を伏せ声を出して泣いてしまったという話を聞いたことがある。

さて、吟界で石川丈山作の富士に負けないくらい吟じられている乃木希典作の“富嶽”という絶句があるのでここへ載せておく。

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<訳>高くけわしい秀れた富士山が千秋に聳え立っている。小さな風景の美しさをとやかく言うのはやめよ。地の霊、すぐれた偉人のあるすぐれた日本である。

この詩は専門の詩人、学者でもちょっと出来ないようなすぐれた作品である。

 

明治天皇の御心で学習院院長に

乃木希典将軍は明治四十一年一月三十一日付けで学習院の院長を命じられている。それには明治天皇の深いお考えとやさしい思いやりがあったのである。

明治天皇は乃木将軍が旅順の戦いで二人しかいない子供をみんな失って心の中 ではどんなにか淋しい思いをしているであろう、と同情しておられたので、二人の子供代わりに沢山子供をお前にやろう、と言われ今日から学習院の生徒をみな汝の子供と思い、立派に育てよと仰せられ、次の御製を与えておられる。

明治天皇御製

 

 

 

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