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自分一人の欲望からではなく、国家のためにしたことであるので、敬意を払い優遇し、家族と共に本国へ安全に送り届けるよう”仰せられた。

一月五日に歴史的な水師営の会見が開かれ、乃木将軍は陛下のお心と同じように敵将ステッセルに最高の敬意を払って迎え、旅順開城の条約を締結した。

ステッセル将軍は乃木将軍が二人しかいない子供をロシア兵の弾丸によって殺されたことに哀悼の意を表し、さらに今日まで苦労して来た愛馬を乃木将軍に贈りたいと申し出た。乃木将軍は二人の子供が戦死してくれたことは、数多い日本の戦死者の家族に申し訳が出来、また武人の本懐である。それよりも露国の抵抗力の大きかったことを誉め、愛馬を贈られることに礼を申し述べられた。

日露戦争はこれで終わったのではなかったが、バルチック艦隊の拠点港となる旅順を陥れたことが日本海軍大勝の本となった。しかし、乃木将軍の胸は晴れなかった。第三軍が旅順に向けた兵力は約十万、そのうち負傷者は六万二百三十名、戦死者一万五千四百名に達し、そのため将軍の胸には『何の顔(かんばせ)あって戦死者の父母に合わす顔があろうか』と苦しみつづけている。

 

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将軍は自分の二人の子供が戦死したことなど二の次であるといい、長男の戦死の報せを静子夫人に打った電文は

『カツスケメイヨノセンシ、ヨロコベ』であり、また別の電文には

『カツスケノソウシキダスニオヨバズ オヤコサンニントモニ、トリオコナウベシ』とある。

そして勝典の戦死した南山(金州城のある山)の古戦場に立って泣いている乃木将軍の名詩が“金州城”である。

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<訳>見渡す限り山も川も草も木も荒涼として荒れ果ててしまっている。四望十里吹いてくる風も血なまぐさい戦場の跡である。この様相にうたれてか馬も足を止めて進もうとしない。馬上の我も一語もない。力なく落ちゆく夕日に照らされて金州城外に立っている。

この詩に出てくる“人語らず”は胸の中が泣けて泣けて泣き倒れ、“戦場で亡き人思う秋の暮”と句を読むこの人、人の前では涙をかくしているが、人の親なら誰だって生きて“お父さん”と言ってくれる子供の顔が浮ぶのは当たり前である。

そして二〇三高地では二男の保典少尉を戦死させ、悪戦苦闘し数多くの部下を討ち死にさせ、死ぬよりつらい思いをした旅順最大の血の山二〇三高地を爾霊山と名づけて魂の叫びとしてこの詩!

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<訳>爾霊山という山があるわけではなく、旅順の日露合戦の時、戦略番号として二〇三高地と名づけられた山が特に激しい攻防があったところであり、乃木さんの二男保典少尉を戦死させたところである。

二〇三高地(爾霊山)が如何に険阻な山であろうとも日本男子が一度意を決して奮い立ったからには攀じ登らずにはおくものか。日本軍人は功名に燃えて難関を征服せんことを期したこの山の戦いが如何に激しかったか、山の形が変わってしまった。今ここに万人が激しかったこの山を合掌して仰いでいる。

 

 

 

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