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◎衣装・持ち道具

記録によると勝海舟は羽織袴の正装、西郷は古びた洋服姿で会談に望んだとするものもあるが、いずれにしろ両者を演じるためには黒紋付きが適している。扇は錦の御旗に見立てるならば金無地がよい。

 

詩舞

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◎詩文解釈

作者の源実朝(一一九二〜一二一九)は鎌倉幕府初代将軍、源頼朝の次男に生まれた。平家が滅んで源氏の世になり、やがて父が没し、兄頼家の後を継いで三代将軍になったが、実朝はもともと孤独な性格で、武家政治を嫌い、早くから都の生活にあこがれて、和歌・管弦・蹴鞠(けまり)などに親しんだ。特に和歌には長じ、京都歌壇の指導者藤原定家に激賞され、現在に伝えられる歌は『金槐(きんかい)和歌集』その他で七百数十首もある。

ところでこの和歌に詠まれている“伊豆の海”の意味を考えると、作者が鎌倉から京都に旅したとすれば、当然箱根の険(けわ)しい山を越えたところで伊豆の海や山々が展望されたにちがいない。

よく知られているように、父(頼朝)は少年時代から二十年も伊豆の蛭ヶ小島(現在の韮山町)に流され、源氏の再興を計ったところだから、三代将軍になった実朝がこうした折に感慨を深めて歌を詠んだのかもしれない。しかしこの和歌そのものの内容は『箱根の山路を越えてきたところで、青い海に浮んでいる小島が見えてきた。そしてその島に波が白く砕け散っている様子が美しく望められる』と、明るい風景が想像されるように、実朝が二十歳の作と云われるだけに、青春の明るさと爽やかさと、多少の旅愁の思いが感じられるのである。

実朝の人物像について一般には、その心に哀しく、さびしく、孤独感につつまれていると思われてきたが、その一因は、実朝が源氏の正統がわが身で絶えることを自覚し、家名をあげるために官位の昇進を望んで右大臣にまでなった。然しその拝賀に鶴ヶ岡八幡宮に詣で、退出する隙に彼を父の敵と狙っていた頼家の子・公暁に刺され、二十九歳で残したことなどが取り上げられる。但しこの事件は後年のことであり、この和歌とは全く関係のないことである。

 

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伊豆の海

 

◎構成・振付のポイント

この作品を1]二十代の作者、実朝自身として演ずるか、2]は全く自然な風景描写として南の海の明るい情景を三人称的に描くかは、出場する幼少年の演者のイメージを優先して構成振付して欲しい。

1]の例として、前奏から一句目では、笠杖などを扇で見立て、山道を汗して登って来た人物の動きを描き、二句目(くり返し)で、海や山々を指して、その形態を扇で表現し、やがて筆を取り出して歌をしたためた後、再び旅を続けるといった構成にする。2]の場合の演舞者は、海、山、空、波といった自然そのものを表わすことが主体で、一句目では遠い山々を舞台一ぱいの空間に描き、その山なみの上空を飛ぶ鳥のイメージヘと展開させる。さらに次は、波が海一面に広がってさざ波を立てて進んで行く様子を二枚扇で描く。くり返しの二句目では、風景に一段と近寄り、例えば岩に打ち寄せる波、海をわたる舟、そして舟にゆられながら風景をスケッチする人物などを演じ、再び舟を操って退場するなど、遠景、近景のアクセントをつけて表現する。

 

◎衣装・持ち道具

いずれの構成であっても、演者の衣装の色はやや薄めで澄んだ青色系、グレー色、ベージュ系などが良い。袴も大柄なものは避け、無地か小紋程度にして、着付けとのバランスを考える。扇は銀、薄水色などの無地が良い。

 

 

 

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