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'01剣詩舞の研究 3] 幼少年の部

石川健次郎

 

剣舞「両英雄」

詩舞「和歌・箱根路を」

 

剣舞

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◎詩文解釈

両英雄とは西郷隆盛と勝海舟のことである。幕末の江戸では、鳥羽伏見の戦に敗れた幕府軍が、朝廷よりの徳川慶喜追討令をうけた薩長連合軍(官軍)によって次第に江戸に追いつめられた。そして「江戸城総攻め」が三月十五日と決定されるや、直前の三月十三・十四の両日に、幕府側の代表・勝海舟と、薩長軍の参謀・西郷隆盛が高輪の薩藩邸で会見し、江戸城無血明け渡しの会談が成立した。

これで江戸市中はもとより、百万人もの江戸の市民が戦火からまぬがれたのである。

この歴史的なひとこまをとらえ、史家であり漢詩人である作者の徳富蘇峰(一八六一二〜一九五七)が、西郷、勝両人の功績をたたえ両英雄と称して詠んだのがこの作品である。

詩文を直釈すれば『薩長連合などの官軍が、錦旆(きんばい)すなわち錦の御旗をかかげて関東に迫ってきた。この危機にあって、江戸百万の庶民の運命は西郷、勝両名の会談の結果にかかっていた。一般の庶民には、西郷、勝が考えている世の中の推移や彼等の志など知るはずはなかったが、しかしこの両者の偉業は永遠に伝えられることであろう』というもの。

なおこの時の会談の内容は、一、慶喜は隠居して水戸表で謹慎する。二、城明け渡しは手続きがすめば田安家に預ける。三、軍艦や兵器は残らず取り集め、その一部を引き渡す等々が勝から嘆願状として出され、西郷はこれを大局的見地、即ちこれが受け入れられなければ、勝は江戸中を焦土にしても徹底抗戦する覚悟とみて承知し、翌四月十一日には血を見ることなく城は明け渡された。

 

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「江戸開城談判」結城素明・画

 

◎構成・振付のポイント

この作品に登場する人物としては勝海舟と西郷隆盛の二人がクローズアップされているが、その背景には官軍と幕府軍、それに百万の江戸庶民が居ることを忘れてはいけない。

詩文の上では起句では錦の御旗をかかげた官軍の勢力、承句は運命に立たされた江戸庶民、転・結句は西郷と勝の会談を述べているが、このままでは首尾一貫した舞踊構成にはならないから、次のように読み替えてみよう。まず前奏から起句は、扇を錦の御旗に見立てて登場し、堂々たる官軍の威力を示す。威圧的な振りは始めは刀を用いず、扇を閉じて四方指しの振りを強調するとよい。承句は抜刀して両軍の激しい戦いを仮想した振りで見せる。転句は坐ったまま勝の心で、両手で攻めを押しとどめ、また押し返す力のこもった振りから、結句は西郷に役替りして立姿で納刀したままの刀で威圧し、やがて舞台を大きく回り、刀と扇を両英雄に見立てたポーズできまり、後奏で退場する。(あまり幼年者向ではない。)

 

 

 

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