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芳典 「できないことが沢山あって、まだまだ未熟だと思います。全体的には間が悪いと感じており、それを直したいと思います」

河合 「自分のことをよくわかっているね」(笑)

家元はいつ頃から見ていますか?

入倉 「行事のあるときなどです」

宗家には見てもらいますか?

芳典 「コンクールなどの時に見てもらいます」

入倉 「うちの場合、財団コンクールの演目は、仕上げの段階で道場にきてもらい教えるようにしています」

 

初めてのコンクールは何位でしたか?

芳典 「壮心流のコンクールが初めてで、少年の部に出て技能賞でした」

初めて出た感想は?

芳典 「コンクールと言う実感は余りありませんでしたが、あの時から、好きなことに向かって励む自分は、自分でも気持ちいいし、親が見ても気持ちがよいと思いました」

息子さんの舞台を見て、どんな気持ちでしたか?

節代 「やらせてよかったと言うのが実感でした。それから、私には常に見ていて欲しいと、本人が言いました」

河合 「はたから見ていても、お母さんと芳典くんは強い信頼関係があり、惚れ惚れするような親子関係だと思います。だから、親がいると稽古するけど、いないとサボる(笑)。それくらい、いるといないでは違いますね」

財団のコンクールにはいつから出ていますか?

芳典 「少年の部が初めてで、決勝大会には二回出て一回目は三位でした。あの時は自分の実力がそこまでだと思い、深く考えました。でも、敗北は最大の原動力だと考え直し、お風呂で声を出す練習をしていたら、母が飛んできて、家庭内暴力と思われるから止めるようにいわれました」(笑)

三位と言う結果の原因は何ですか?

芳典 「踊りは性格とか、生きて来た人生が自然と伝わると思うのですが、そういうものが足りなかったと思います。それから自分を磨いてきたつもりですが」

 

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写真左より入倉昭星家元、石井節代さん(祖母)、石井幹恵さん(母)、石井芳典くん、河合昭扇館長

 

昨年二回目で優勝ですね?

芳典 「はい。でもその時は、一週間前でもやる気がおきなくて、体が踊っているだけでの状態でした。その時、母が泣きながら怒りまして、それで頑張らなければと思えるようになりました」

それほど気が入っていなかった?

幹恵 「ええ、その時、稽古には行くけど、終わったら考えたくないという状態でしたね。それでは先生に申し訳ないので、私も爆発してしまいました」(笑)

それは何だったんですか?

芳典 「稽古に間ができるといろいろ考えてしまい、明日稽古するから、明日するからということになり、悪循環に陥っていたと思います。そんな自分に気づいて欲しいから、それが態度に出ていたのではないでしょうか」

決勝大会はご家族で行かれましたか?

節代 「はい、私も行きました」

名前を呼まれた時、どんな気持ちでしたか?

芳典 「踊りが終わった後、失敗したことを思い出し、泣いてしまいましたが、優勝で名前が呼ばれた時、涙も枯れ果て何も出ませんでした」(笑)

入倉 「うちの会員は、流派のコンクールでも失敗したと思うと、袖に入ってきて泣く人が多い。まあ、それくらいでないと賞は取れないね」

幹恵 「怖くて、離れて見ていましたが、半分は諦めていました」(笑)

芳典くんが今抱えている課題や問題などまある?

芳典 「一生のうちで、自分は何がどこまでできるのか試したい。そのためには命もかけます」(笑)

芳典くんにとって剣舞や詩舞とはなに?

芳典 「剣詩舞は、僕の人生の一部と言ってもいいと思います。また、僕に実力があったなら、多くの人に広めていきたいとも思います」

最後に何かありますか?

芳典 「見た目の強さだけではなく、内面の強さも鍛えていき、完成された踊りに近づくよう、いろんなことで自分を磨いていけたらと思います。そして、吟剣詩舞を一生のテーマとしてやっていきたいと思います。また、吟剣詩舞で頑張ることが親孝行になると思いますので、一生懸命やっていきます」

本日はインタビューに答えて項きありがとうございます。芳典くんの活躍をお祈りしております。

 

訂正とお詫び

平成十一年十二月号の本欄に掲載した記事の中で、杉浦容楓氏の肩書を「宗家」と紹介しましたが、これは(北辰神明流分家剣詩舞)「宗範」の誤りでした。関係の方々にご迷惑をおかけいたしましたことをお詫びします。

 

 

 

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