コンクール開始の十時前から、笹川記念会館国際ホールはじっと舞台の開始を待っている出演者の皆さん、それを見守る家族や愛好家の姿で、会場は独特の緊張感に包まれていました。そして、予定の十時になると、鈴木吟亮常任理事が開会の辞を述べ、国歌斉唱、財団会詩合吟とつづき、河田神泉副会長が財団を代表して挨拶を述べました。挨拶は笹川鎮江会長の「剣詩舞は吟詠の調べに合わせて、歌のこころを体技によって表現する芸道で、わが国の伝統芸道の中でも、今日までの民族精神の形成に大きな役割を果たしてきたばかりでなく、これからのわが国の精神文化の高揚においても大きな期待をかけられている芸道」という言葉を引用し、斯道隆盛向上のために力の限り演じるよう、演技者に励ましのエールを送っていました。それから、競演実施要項が説明され、審査員が紹介されると、競演の幕がきって落とされました。
群舞コンクールは剣舞が三名、詩舞が五名を一組として行われるもので、日本全国の予選を勝ち抜いてきた剣舞、詩舞あわせて五十組が決勝大会に挑戦しました。指定吟題は剣舞が「前兵児の謡」「児島高徳桜樹に書するの図に題す」「加波山詠史」、詩舞が「一の谷懐古」「威陽城の東楼」「梅花」でした。
午前中は剣舞が審査され、一番手から二十四番手まで、それぞれが日頃精進した演舞をここぞとばかりに披露し、熱気を感じる舞台が続きました。午後は詩舞の部で、二十五番手から五十番手までが果敢にチャレンジし、見る人を魅了する演技を披露してくれました。
すべての審査が終わると石川健次郎総合審査員が登壇し、講評を述べました。その内容を要約すると次のようなものでした。
● 剣舞は総体的に迫力が足りない。それは群舞であるがために、綺麗に格好よく舞台の空間を使おうという考えが先に立ち、肝心の剣技のほうがおろそかになってしまったのではないか。剣による技を考えてほしい
● 剣舞の群舞というのは本質的になかったが、コンクールなどで行われるようになってきたことから、個人の芸が団体の芸へ変わってきた。そのため昔の剣舞とはやや形を変えていかなければならないだろう。
● 刀法では人を斬るのか、馬を斬るのか、その区別がなかった。それは高さとか気迫がなく、詩文にうたわれているにも関わらず、剣技に変化がないためだ。