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また、前項で述べた“静中動”にも通じるものがあるから、腰を人れることによって、精神的にも均衡のとれた心構えをみせることができる。さて実際に剣詩舞の基本的な衣装である袴つきの和服姿は裾が広がった三角形で、美学的にも安定感がある美しいポーズを見せてくれるが、腰を入れ重心を下げることによって一層構えに精神的な充実が兄られるようになる。

構えの体形には「立ち構え」「中腰の構え」(片膝立ての構え)「座り構え」の三通りあるが、それぞれが次の動作に移るための基本体形として安定感がなければならない。特に剣舞の場合、静止の姿勢である構えは容易だが、動きながらの構えの持続、または動より静にもどった時の構えの姿勢は、とかく崩れやすいから、常に丹田(たんでん)(へその下)に力を入れ重心の安定を計り、無理のない自然体を心がける必要がある。

<目の表現>

“目は心の窓”という諺がある。日常生活の動作でも目の動きを見ていると、その人の行動の意思を読みとることができ、それこそ“目は口ほどにものをいい”ということになる。舞踊動作にしても、この目の動きが体の動きに連動して表現力を増大させるわけだが、この傾向は舞踊表現の中でも写実なもの程効果が高い。さて歌舞伎舞踊の伝書『佐渡島日記』に「振りに目の外れるを死振りといい、所作の気に乗りて振りと目と一致するを活(いき)たる振りとは申すなり、それ故振りは目にて遣うと心得べき事第一なり」と記されているが、しかしこうした伝書でいう目の表情、目遣い(剣舞では目付けと呼ぶことが多い)とは必ずしも日常の動作と同じものではなぐ、芸術表現としての工夫が凝されていることが多い。例えば飛んでいる鳥を見る場合、鶴のように大きく旋回するものや、ひばりのように急上昇、急降下するもの、また時鳥(ほととぎす)のように変則的にうねって飛ぶものなどを見る目遣いは、舞踊的動作(静止(ポーズ)の場合もある)と連動して考案されるのが普通である。そして更に加えて、それを見る(舞っている)人物の性別や年齢、身分、それに心境や環境までも勘案されている。このような表現技法の創造は、特に古典芸能の世界では大切に伝承されていて、例えば歌舞伎の強調した目遣いの一例として、手や足の動きに対して、首(顔)をわざと反対がわから振り向けるような動作を「見得(みえ)」と呼んでいるが、剣詩舞でもしばしば使われている技法である。

<手足の表現>

手が剣詩舞の舞踊表現で如何なる働(はたら)きをしているのかを考えると、まず基本になるのが「構え」の体形である。特に具体的な意味はないにしても、権威格調の象徴として重要なポーズになる。手の表現として佛像の様にまたはインド舞踊の如く指の形や動きに独特の意味を持たせたものもあるが、日本の舞踊では手のひらで“ながめ”“かざし”“指(さ)し”“数(かぞ)え”などの動作をすることが多い。これらの動作は能より歌舜伎轟踊の方が写実的であり、詩舞もこの影響を受けている。ただし歌舞伎舞踊は女の表現、特に色里を中心にした遊女等の媚(こ)びた表情として、手のひらを小さく可愛らしく見せるために、親指や小指や薬指を内側に折込むといった美学を考案しているが、そうした美学をそのまま剣詩舞に受け入れるには抵抗がある。

大体が剣詩舞での手振りは、まだまだ能や歌舞伎舞踊に比べて少ないし、また創意工夫も足りないように思われる。

次に足の美学的動作を考えることにするが、剣詩舞の衣装はほとんどが袴をつけているので、歌舞伎舞踊のように露出した足の表情を見ることは少ない。

さて、剣詩舞は“舞う”とはいうが“踊る”とはいわないという意見があるが、これには舞踊学的に異論がある。踊るという言葉には“足拍子”を踏んだり跳躍する動作が含まれているから、剣舞はもとより、詩舞にもこの種の動作が拍子(リズム)と一体になって舞踊美学的な効果を上げている。

そもそも足を踏むという動作には、大地の悪霊などを鎮めたり、聖霊を蘇(よみがえ)らすといった呪術的なものがあったが、現代ではそのような意味よりも、動きのリズム感が大切にされ、それによって剣詩舞の表現力が豊かになると共に、吟詠の音楽性も重視する結果となって来た。

 

【現代剣詩舞の美学】

―新しい舞踊的表現とは―

前項で述べたように、現時点における剣詩舞の美的価値は、基本的にはそのまま今後に引き継がれるであろうが、次々に新しい舞踊美学が追求される現代において、剣詩舞界だけがこの新しい風潮に背を向けることは芸術性向上のためにも許されないことであろう。

では、こうした観点から更に次の三つの問題点を検討してみよう。

 

 

 

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