日本財団 図書館


第3節 岩手県藤沢町

 

1 藤沢町の概況

 

(1) 位置、自然

岩手県の南端に位置し、宮城県に隣接した北上山系最南端の西斜面丘陵地帯にある。西端を北上川が南流し、東西に伸びる県境を底辺としてほぼ三角形を成し、他町村との境界は河川や山陵によって自然的に分かれている。東西16.0km、南北14.7km、周囲71.7km。面積123.13km2の約60%は山林、原野である。

気候は、岩手県の内陸南部に属し、宮城県北部に相通じており、過去10年の平均気温は11.3℃と県内では最も温暖な地域で、年平均降水量も1,330mmと少なく、積雪も多くない。しかし、小盆地を形成しているため、年間を通じて寒暖の差が比較的大きい。

 

029-1.gif

位置図

 

(2) 歴史、沿革

藤沢町を含む両磐地方は、明治2年胆沢県に属し、同4年一関県、同年12月には水沢県に、同8年には磐井県となり、同9年には現在の岩手県となった。

明治22年町村制施行で藤沢は西口と合併して藤沢村に、黄海はそのまま一村を構え、徳田、砂子田、増沢、新沼は合併して八沢村に、大籠、保呂羽、津谷川は合併して大津保村になった。その後、大正15年町制施行で藤沢村は藤沢町となり、郡南四ヵ町村の中心とされていた。昭和30年には、町村合併促進法により、藤沢町、黄海村、八沢村、大津保村の四ヵ町村が合併して、現在の藤沢町が誕生した。

平泉の藤原氏や葛西氏、伊達氏の時代には、北上川の水上輸送が盛んになるのに従い、黄海の七日町が東山地方などへの物資の陸揚げ河港として栄え、新しい産物や技術が移入するなど、交通、通商の要所として当地方の先進的な産業文化の地であった。

その後、北上川の水運が明治23年の東北本線や後の大船渡線の開通で後退し、かっての交通の要所という優位性が逆に鉄道の通らないハンディを負うこととなり、大正、昭和にかけては東北地方の典型的な農村として変遷を経ることになった。

藤原町には、前九年の役における黄海の戦い、保呂羽神社をめぐる九州細川家との逸話など、多くの歴史的ドラマが語り継がれている。中でも、伊達藩時代の大籠地区を中心とした、たたら製鉄とキリシタン大量殉教をめぐる史実は、大籠キリシタン資料館や町内に遺る多くの史跡を通して、往時の哀史を語りかけている。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION