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2. 実親との再会援助

 

国際養子縁組は重要なISSJの活動の一つである。1960年代には、厚生省児童家庭局通知で各都道府県知事・各指定都市市長宛てに国際養子縁組を希望するものがある場合、ISSJを活用するようにとの通達が出されている。ISSJは、実父母と生活出来ない状態にある子どもにとって、養子縁組は子ども達の福祉を守る一つの選択であると信じ、太平洋戦争後日本国内に多く残された日米混血児童達を、主に米国人夫婦の養子縁組とする援助をした。設立以来今日まで、ISSJが関わる養子縁組の理念は、子どもの福祉を優先する援助である。

そして現在、何十年も前にISSJを通して養子になった養子達や養親達から養子の実父母捜しの依頼が多く寄せられるようになった。養子達が実親捜しをするのは当然の権利であり、その情報がたとえ少しでも出身国に残されていることは、自分自身の存在を確認する上で大切である。それゆえ、記録の保存は、養子縁組を扱う者や機関の義務であると考えている。

また、我々は実親捜し援助は現住所を探し、依頼者に渡せば終わるような単純なものではないと認識している。なぜなら養子が実親捜しを決心する時、自分の中で必ずしも自分を「手放した」実親との複雑な思いが解決されているとは限らないし、自分を愛し育ててくれた養親への遠慮があるかもしれない。そして実親側は我が子を手放した罪悪感をいまだ引きずっている時は、心理的に子に会う準備が整っていない場合も多い。このように複雑な状況の中で親と子の再会がいかに精神的な緊張とエネルギーを要するか十分理解できよう。それゆえ、ソーシャルワーカーは養子にも実母にも細やかな配慮をしながら対応しなければならない。

 

事例4:米国に養子縁組した養子が実親と再会したケース

 

30代後半の養子Fは婚約者の積極的な支えもあり、実親捜しの決心をし、その依頼をISSJにした。ISSJは弁護士の助けを借りて実親の現住所を得た。ISSJに保存された資料によるとFが身体障害を持っていたので、両親はFを病院に残して行方をくらましてしまった。そのため、Fは出生直後、児童相談所の措置児として施設に委託されている。実父母は子どもの障害の状況からミルクを飲めないので「子どもはすぐに死亡する」と認識していたようである。実父母に連絡をしたところ、実父は何年か前にすでに死亡していた。ISSJは実母にFが生存していること、外国人の養子となったこと、そしてそのFが今母に会いたいと願っていることを伝えた。我が子の気持ちを知らされた母は夢のような話だと絶句し、息子が自分を捨てた母のことを心配しているとはもったいない話だ。そして今まで彼を育ててくれた養親に表す感謝の言葉もないといい、息子がこんな母でも会ってくれるなら、直接彼に会い詫びたいと涙ながらに何度も繰り返した。ISSJは母と息子の再会の場所、日程の計画をたて、母、子の再会は実現した。

 

 

 

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