病院や診療所では患者さんがやって来ます。つまり医療者の土俵に彼らが上ってくるわけです。ところが往診は患者さんや家族の土俵へこちらから出かける。私がかつて診療所の医師から頼まれて患者さんの家を訪れたときには、「おまえは誰だ」と聞かれ、なぜ自分がここに来たかを説明することから始まりました。
また20年以上入院している患者さんの退院のことで、患者さんと母親の話し合いをもつために彼らの家に出かけたことがあります。母親はそれまで息子が外泊したときには「いつでも帰っておいで」と言いながら、すぐ後で病院にやって来て私たちに、「私は高齢なので家で一緒に暮らせない」と訴えます。これでは患者さんはいつまでたっても母親の本心を知らないままに将来設計を考えているので、彼と一緒に家に行き、話し合うことにしたのです。よそよそしい話が1時間ほど続いたあと、母親は「おまえは私を包丁を持って追い回したじゃないか。おまえが泊まるときはいつでも逃げられるようにもんぺをはいて雨戸を開けて寝ているんだ」と泣き叫んだのには私も驚きました。彼は帰り道で「母が20年以上前のことをまだ恨んでいるんですね」と語り、その2年後にアパートを見つけて退院しました。母親は自分の土俵だからこそ本心を語り、それをきっかけに息子は自分の道を歩むことになったと思います。
それぞれの家庭にはそれぞれの生活があり、生活パターンは一軒一軒違いますが、私たちは隣近所の家の生活習慣に干渉することはありません。ところが保健衛生活動やホームヘルプではそれをしがちです。せんべい布団は身体によくないとか、望ましい食事はこうあるべきと指導したりします。昼の食事の介助に入ったあるヘルパーは「台所が汚れているので2時間かけてきれいにしたら、ピカピカになったと家族から喜ばれました」と語りました。しかし、家族はおそらく顔から火の出るような思いをしたに違いありません。