そのときに私たち医者としては、患者や家族の希望を潰してしまうような権利は与えられていないということを忘れてはいけません。不確実な情報は、言わないほうがよいのです。もちろん専門家の集まるカンファレンスなどでは口にしますが、患者当人や家族には、その人の心の内がよく判読できなければ、それをそのまま言ったりしてはいけません。
いま聖路加国際病院に末期癌で入院しておられる方で、女子高校の学校長をやっておられたのですが、「卒業式までもちますか?」と聞かれて、私はドキッとしました。「もちます」というと嘘になるかもしれないし、どう言ったらいいかと思って、「卒業式に行けるようにあなたにも頑張っていただきたいし、私もそのように努力します」と言ったところが、次の週に回診をしたところ、「先生は卒業式に出席できるとは言われずに、努力しましょうと言われましたが、その言葉の意味が私にはわかったような気がします」と言われました。卒業式に出られる可能性は少ないかもしれませんが、しかし少ない可能性でも、その人にとっては現実性のあることかもしれません。可能性のパーセンテージというのは、一般的な話でなければ、その人当人には適用できないのです。
慰めることはいつでもできる
私は経験を積むにつれ、だんだんと医師のしていることは、結局は敗北だと考えるようになりました。医師はいつも負ける。みなさんは医者にかかり、医療を受けるのですが、誰も彼も死んでしまう。医療は、最後には敗北してしまいます。もちろん、心筋梗塞になっても大多数の人のいのちは助かるようになりました。