人間は、病いの中では自省的になり、生きる意味を深く問うたりもするようになりますが、私は医師という職業柄、ある意味ではその人がいちばんその人らしくなった最高の姿と接することができるともいえるわけですから、学ぶこともまたとりわけ多いといえましょう。
先ほど肝臓移植を米国で受けられた経験をもつ青山学院の野村祐之先生がお話しになったとおり、スピリチュアル・ケアという言葉に使われている“スピリット”というのは、「風」とか「息」ということです。ギリシア語では空気のような、流れるようなもので、血液のように体の中を流れているという意味をもつものです。このスピリットという言葉が人間の息と非常に関係しているという語源から考えますと、20世紀の初めに心電計ができるまでは、私たちが生きているという立証は息が止まったことをもって死と診断していました。それ以前は仮死の状態で葬られることもたまにはありました。
いまでも予後を予測することは医師にとってもなかなかむずかしい問題です。私のように長く臨床をしている者は、なるべくあいまいに答えるようにしています。「いつまでいのちがもちますか」と聞かれる人は、大変な決意をもって質問しているのです。自分自身からこの問いを発する人はめったにありません。100人に1人くらいです。しかし、しっかりした経営者や、また勇気のある人の場合、はっきりと自分のがんの病名や予後について尋ねる人が時々おられます。