躾(しつけ)という字は「身が美しい」と書きます。確かに行き届いた躾から生まれる洗練されたマナーは美しく気持ちのよいものです。
また、倫理道徳の「倫理」はギリシア語の「エティカ」を訳した言葉ですが、このエティカに「小さな」という意味の「エット」をつけると「エティケット(エチケット)」となります。大ざっぱにいえば、倫理道徳というのはエチケットの拡大版だということです。
お互いに身だしなみを整え、エチケットを守って躾よく振る舞うことは社会生活を円滑にするうえで有効で、大切なことです。でも、見かけがきちんとしていることと、その人の内面のありようとはほとんど関係がないのです。慇懃無礼(いんぎんぶれい)という言葉もあります。見かけは丁寧で礼儀正しくても、こころの中では舌を出しているなんて人もいるでしょう。詐欺師というのはまさにそこにつけ込んで、好感のもてる身なりでいかにも善人そうに振る舞って人をだますわけです。
また人生の悩みや病気の苦しみ、死の恐怖といったスピリチュアルな問題、自分という存在の根源にかかわるような深い問いへの答えは、いくらエチケットの知識をふやし倫理道徳を徹底しても得られるものではありません。この両者は次元の違う問題だからです。
ではスピリットとは何なのか。この英語の言葉は、ラテン語「スピリトゥス」からきています。そしてそのラテン語がお手本にしたのはギリシア語の「プネウマ」で、さらにその元をたどればヘブライ語の「ルーアハ」に行き着きます。ちょっとチンプンカンプンに思われるかもしれませんが、これらの言語は現代ヨーロッパ語に共通のご先祖様です。聖書はヘブライ語とギリシア語で書かれ、中世以来ラテン語訳が用いられていましたから、ルーツをたどるとなるとこれらの言葉に注目せざるを得ないのです。