9 乳児保育と家庭支援
宮崎県宮崎市・権現乳児保育所
園長 小笠原加代
乳児保育実施の経緯
昭和49年5月に産休明けの乳児から3歳未満児童を対象にした定員60人の保育所を、宮崎市江平東町1-2に設立しました。当時は、産前産後の休暇が保障されている事業体はあったものの、零細な事業所に勤務する親や、個人事業を営んでいる親たちの多くは、産前産後はもちろん、必要最小限度の休暇しか取得できない状況がありました。
顧みると、この時期は「3歳児神話」がまだ全国的に根強くありました。しかし当保育所への希望者は生後2週間から6週間の乳児が多く、「3歳児神話」との葛藤のなかで、母乳で育てられない親としての自責の念や、子どもへの将来にわたる悪影響を心配するなど、当時の親たちは、肩身の狭い思いをしながらも育児と仕事の両立を図っていたといえます。
乳児保育のニーズの高まりは、当地域だけの問題ではなく、都市部を中心にして全国的な広がりを見せ始めました。国は、昭和45年に保育所保育の内容に乳児保育を明確に位置づけたのですが、乳児保育の実績が全国的に低かったこともあり、地方の「保母養成校」が授業内容で本格的に取り扱いを始めたのは、当施設が設立された昭和50年ごろでした。
したがって、当時の特に地方における乳児保育の実践は、今日ほど学問的な位置づけはなく、どちらかというと保育士の業務は「子守り的要素」が強く、実践の拠り所となっていたのは、「小児医学」と「栄養学」でありました。