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京都の東山三六峰の西麓には花折断層が走り、最悪、三二〇件の出火が予想されている。おまけに、京都市の被害想定には火災による死者数は評価されていない。京都市は応仁の乱以来、約六〇〇年間、全市を焼き尽くすような大火を経験していない。太平洋戦争末期の米軍の空襲も免れているため、全建物中、古い木造住宅・建築物の比率は、政令都市では群を抜いて大きい。こうなるとお手上げである。わが国では、木造建築の必要性を風土のせいにして、延焼防止に視点を置いた木造建築の規制を真剣に議論し、実行してこなかった弊害が火災脆弱性の大きいまちを形成してしまったのである。そして、一九七六年の「酒田大火の復興の悲劇」が生まれた。この大火後、単純に道路を広くしたために、まちの活力がそがれてしまったのである。しかも、耐火建築での店舗再建によるコスト上昇、再建融資を受けるための店舗拡大による借入金の増加、固定資産税の増加のために商業の衰退をもたらせてしまった。火災に強いまちづくりが、元気のないまちへ変えてしまったのである。

 

四 火災を対象とした危機管理の好例

―ロンドン大火と振袖火事―

阪神・淡路大震災の後でも、広幅道路の建設が火災に強いまちづくりの唯一の方法であると考える都市計画家が結構多いことにはびっくりさせられる。広幅道路はまちを分断するし、新たな自動車交通流が発生し、環境悪化を招くことを無視している。一六六六年のロンドン大火の後、外壁に木材を用いることを禁止する条例を作ったイギリス王室に比べ、一六五七年の振袖火事の後に、江戸幕府が行ったことは「定火消し制度」の導入などであって、ここに危機管理に対する彼我の差がはっきりと看て取れよう。すなわち、ロンドンでは、広域延焼の発生に対して燃え拡がる可能性を小さくして対処しようとしたものであるのに比べ、江戸のそれは発生源を押さえるのではなく、消防力の向上で対抗しようとしたのである。すなわち、前者は予防重視、後者は対応重視である。ここに、わが国の行政の危機管理上の基本的な問題点を見いだすことができる。それは、抜本的な対策を講じないということである。言い換えれば、対処療法で終わるのであって、その結果が火災に極めて弱い京都のまちに集約されていると言ってよいだろう。写真1は沖縄県那覇の市街地である。コンクリート製の建物が多いのは台風の常襲地のせいであるが、これが広域延焼火災の阻止に大きな効果をもつことは明らかであろう。「木の文化」を情緒的にしか進められなかった伝統が、災害脆弱性の大きな、なかんずく火災に弱いまちを作ってしまったのである。

 

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写真1 沖縄県那覇の市街地風景

(木造建物が極めて少ない)

 

五 大震災時の消防の危機管理の標準手順

そこで、つぎに危機管理の標準手順を示してみよう。それは、次の項目で構成される。

1 事前の被害想定作業によって、どの地区にどの程度の被害や出火箇所があるかということを管轄区域全域にわたって消防職員全員が周知している。

2 その結果と、地区の重要地点、危険地点を重ねて、消火作業の優先順位付けをあらかじめ実施しておく。

3 地域内の数カ所のモニタリング体制を整備しておく(火災ボランティアからの通報、消防職員の参集途上の情報など)。

4 発災直後に、出火箇所、出火数、人的被害について概数を防災地理情報システム(GIS)などを使って把握する。

5 モニタリングや参集途上の消防職員の情報をもとに、概数の修正を行う。また、私服による偵察行動を開始する。これは、何が起こりつつあるのかを直接目で確かめ、必要な対応を把握するためである。

6 人的被害者数、出火箇所数が消防力を上回り、広域延焼が危惧される場合には、事前の打ち合わせ通り、消火を優先する。

7 広域消防協力によって、どの地域に応援隊の出動を要請するかを決め、災害対策本部に通報する。なお、広域消防応援協定は有料であるが、阪神・淡路大震災ではすべて公的資金で後に補填されているので、経費的な心配は無用である。

 

 

 

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