(2) 消防活動状況
先着の南部小隊は、火点直近の貯水槽に部署すると共にA旅館西側への消火活動に着手する傍ら、隣接のC旅館での避難状況を確認し、人命検索及び避難誘導を行った。第二線延長さなか火災は、熾烈を極めC旅館への延焼危険が切迫した中での懸命な延焼防止に専念した。
後着のタンク車隊は、B旅館正面への部署とそれに中継送水するポンプ車隊をペアで実施させ、タンク車より同時二線延長による消火活動を開始した。一方救助隊は、各旅館の避難誘導の確認と人命検索の任にあたり、逃げ遅れ等がいないとの情報を得、暗闇での消防活動に備えて照明装置をセットすると共に、消防隊に協力し消火活動に従事した。また、救急隊は、直ちに怪我人等の情報収集と応急処置並びに宿泊客の把握にあたるが、広範かつ混乱する状況の中で情報収集は困難を極めた。
駆けつけた非番隊員は、現地本部の指示に従い消防水利の確保及び筒先隊の交代等にあたり、放水を継続した結果ようやく鎮圧するに至った。
残火処理は、寒さも一段と厳しくなる中、木造茅葺き屋根の特色から要請した大型特殊車両が雪のため遅れ、鎮火までに長時間を要することとなった。
四 おわりに
本火災は、約三〇〇年前から続く木造茅葺き屋根の老舗旅館で、遠く離れた高地に位置したうえ雪が降っており、ポンプ車が現場到着するまでに三〇分程時間を要したことが、火災を大きくした要因である。
ただし、時間帯が夕食前で幸いにも死者がなかったのが唯一の救いであった。
茅葺き屋根の木造大建築物は、思いの外火の廻りが早く最盛期での消火活動は劣勢を余儀なくされたことも事実であり、この体験を教訓に、今後の出火防ぎょ活動に役立てて行きたいと考える。
(鹿間幸男)
救急・救助
画像伝送システムの実験運用について
東久留米市消防本部(東京)
はじめに
東久留米市は武蔵野台地のほぼ中央にあって、東京都心より約二四kmの西北部に位置している。面積は一二・九二平方km2・人口一三万人、東京のベッドタウンとして発展してきた街である。
消防体制は、一本部一署二出張所、職員は一一八名で組織され、市民の生命と財産を守るべく日夜精励努力しているところである。
救急車両は本署一台、出張所一台計二台の高規格救急車に加え、予備救急車一台(二B型)を本署に配置し、専任救急隊員二〇名(救急救命士一三名)の陣容により、年間三千件を越える救急需要に対応している。
救命士の病院実習に関しては、指示医療機関である公立昭和病院救命救急センター(小平市)にお願いし、二ヶ月間にわたる臨床看護実習を全救命士が履修、現在生涯教育としての病院実習を実施している。
今回、公立昭和病院救命救急センターと救急現場(救急車内)を画像により結ぶ「救急医療高度データ伝送システム」の実験運用を開始したので、その概要について紹介する。
一 画像伝送システム開発の経緯
平成九年三月に開催された東久留米市救急協議会において、「救急医療高度データ伝送システム」の開発共同研究の提案がなされた。