確かな論説文を綴るために
大東文化大学講師 亀山明生
一 はじめに
ここでは堅苦しい論述はつとめて避けたい。そのために十数年東京消防学校に於ける東京消防庁の初級幹部研修の講師を勤めていることもあって、研修者の文章の傾向等も念頭に置きながら平易に論ずることにしたい。
二 論説文とは
論説文とよばれているものには論証を主とする論証文と、感想を述べるのを主とする感想文との二種がある。ここで言う論説文とは前者であると思って欲しい。
論説文とはある問題について調べた結果を、確実な根拠に基づいて客観的な資料等で裏打ちし、論理的にまとめた文章である。論説文は客観的で科学的態度で貫かれているところに特質があり、その点説明文と似たところがあるが、両者には大きな隔がある。説明文が順序立てて、比較対照したり、図表を掲げたりして詳しく叙述しながら事実を明らかにするのに対して、論説文は推論による論証や反対論に対して反駁する場合もある。ここが両者の大きい違いと考えてよい。
三 論説文に要求される五つの条件
どのような条件を満たしておれば確かな論説文と言えるか?それは次の五つである。
1 論理が正確である。
追力ある名調子の論述であっても論理が正確さを欠いていたのではどうにもならない。例えば、「日本は神国である―だから国難の時は神風が吹く―結局最後には日本が勝つ」。この三段論法で日本国民は苦しみのどん底に叩き込まれた。受験期の生徒たちは「努力は必ず酬われる―だから努力せよ―そうすれば合格だ。」と発破をかけられる。しかしこれらは論理が正確ではない。日本を神国だとする大前提からして誤りである。神国ではないことは考古学が立派に証明している。この誤った大前提から導き出された小前提が正しい筈がない。元寇(文永・弘安の役)の際に元の軍船を沈没大破させたのは神風ではなく、実際は大風であった。元軍が気象に精通していなかったから日本は救われた。この誤った小前提から導き出された結論が正しい筈はない。その後の日清・日露の戦に勝利した日本も太平洋戦争で敗北した。努力は必ず酬われるか?酬われる場合もあり、酬われない場合もある。論理としてはこれが正しい。それを強引に「必ず(・・)酬われる」というのでは正確さに欠けた論理ということになる。
2 論旨が明瞭である。
論理がいくら正確であっても論旨が明瞭でない主張は落第である。書き手の考えや伝えたいことが読み手に伝わらないからである。それでは綴る目的を果たせない。論旨の明瞭な論説文を綴るには次の三点に特に留意するとよい。
(A) 自分の考えがはっきりまとまってから書き始める。
(B) 必要な説明を省かない。
これでは読み手の理解を充分に得られないと思ったら、面倒がらず説明する。補足をしたり、平易に言い換えたり、事例を挙げたりするのもよかろう。またグラフ・略図・写真の添付等々有効な方法でおこなう。
(C) 結論をぼかしたり、他人まかせにしたりせず、自分の考えや見解をはっきり打ち出す。
3 知性や教養が感じられる。
大学生が書いたものなら高校生には綴れない程度の、なるほど大学生の論述だなあと感じさせる知性・教養が感じられるものであって欲しい。消防官であったら階級にふさわしい知性・教養の感じられる論説文を綴って欲しい。