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五 救急業務活動の事故をめぐる法律問題

救急車出動の事故と救急業務の事故の場合に分けて考える必要があろう。国家賠償法第一条の「公権力の行使に基づく損害の賠償責任」が発生する場合は、結果責任論もしくは危険責任論によって、救急業務の事故にたいして市町村の国家賠償責任がひろく肯定される可能性がある。定性的予見可能性または定量的予見可能性による注意義務違反・違法性の認定論は医療事故責任の問題についてもいえる。昭和三二年の「丸の内救急隊事件」は、救急活動について関係者に多くの問題を提起した事件である。

それは、意識不明の患者がビタカンファーの注射をうけ、人工呼吸を施されて病院に搬送収容されたが、死亡したため、後で遺族が暴行による傷害事件として告訴した事件である。検察庁は救急隊長に当時の状況の説明を求め、その際のビタカンファー注射の事実は、患者の死因と関係ない、と判断した。その際の注射は医師法第一七条の「医師でなければ医業をしてはならない」の規定に違反の恐れがあるとして、今後中止すべきものと注意・勧告するにとどめた。この事件につき厚生省は、救急車の在り方を十分配慮したうえで、当該負傷者の生命身体にたいする現在の危険を避けるためにやむをえないものと認められ、これを反復継続する意志がないことから、医師法違反とするに及ばない、と発表した。これにたいして反論が出た。救急車の応急措置といっても、注射は一応医業と認めるべきであり、刑法上の緊急避難(第三七条「自己又ハ他人ノ生命、身体、自由若クハ財産ニ対スル現在ノ危難ヲ避クル為メ己ムコトヲ得サルニ出テタル行為ハ其行為ニヨリ生シタル害其避ケントシタル害ノ程度ヲ超エサル場合ニ限リ之ヲ罰セス」)の規定により違法性が阻却されるという点も、医師法第一七条で医業は医師以外に禁止されている以上、その適用には疑問がある。さらに厚生省の「反復継続する意志がない以上」というが、救急車に常時医薬品が積載されていることは、必要と認められる事例に遭遇したときは反復継続する意志があると考えるべきではないか。また消防庁は、救急隊員は傷病の状況によって必要と認めたときは応急措置を施すことができなければならないと、救急業務の実施における救急隊員の応急措置の必要を主張した。これにたいし厚生省は、救急隊員に一定の資格を要求し、かつ救急隊員が傷病者に対し応急処置がとれるとすることは医師法違反となるばかりでなく、医事法の体系そのものを混乱させるもので、「応急処置」は正面から認められないが、救急隊員の応急処置までも全部否定する必要もないとする「救急医療対策について」の厚生省医務局見解が出された。事故現場の応急処置はできるだけ医師が行うこと、それが困難な場合は救急隊員、警察官等が応急処置をとれること。こうして「救急業務」につき厚生省と消防庁は歩み寄って前掲法律となったのである。

しかし、厚生省の「救急業務限定主義」は、患者の緊急生命権ともいうべき人権保障の視点から疑問が残るし、上述の消防団員への救急業務拡大論も同趣旨である。米国のように拡大されることが望まれている。近年、救急救命士制度の下でようやく「酸素吸入」「蘇生器による人工呼吸」「機械による閉胸心マッサージの実行」「若干の医薬品使用」、特にビタカンファー等の注射は注射器の滅菌、感染への注意を払うこと、さらに使い捨てプラスチック製注射器の導入等が考慮されるに至った。今後とも救急医学の進歩とともに「救急隊員の行う応急処置等の基準」、つまり、救急業務の見直しが求められている。

 

 

 

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