「沈黙」から『喝采』へ
中国支部代表 森田次郎
災害は、事あるごとに私達を追いつめ、そして問いかけます。
昨年の六月二九日、広島市を襲った記録的な集中豪雨は、二〇名の尊い命を奪い、市民の心と市政に大きな傷跡を残しました。
私は、この災害から一人の母親が犠牲となった、ある現場活動の様子を振り返り、自主防災活動の意味について考えてみたいと思います。
現場での救出活動は困難を極め、明らかな長期戦でした。
民家を砕き、母親を飲み込んだ土石流は、途方もない泥の海となって私達の前に広がっています。
この中のどこかに母親はいる。そして必ず生きている。
全ての隊員は、そう信じて無意味とも思えるような、一杯の泥をすくっては掻き出す。作業は、この繰り返しでした。
時間の経過と共に住民は苛立ち「野次」は「罵声」へと変わって行く。
隊員の胸ぐらを、つかまんばかりに詰め寄ってくる。
現場が騒然とした空気に包まれ、パニックになる正にその時でした。現場指揮者の呼びかけが、事態を一変させたのです。
「皆さんの中で、長靴を履いている人、手袋をしている人があれば、バケツ一杯の泥で結構です。是非運び出してください!」
周囲は一瞬どよめきましたが、次の瞬間あれほど苛立っていた住民は、誰からとなく一列に並び、整然とバケツを回しては、泥をかき出して行くのです。秩序を取り戻した現場は、誰一人として愚痴をこぼす者はなく、沈黙の作業は三時間余り続きました。
「これだ!」これこそが「自主防災活動の原点だ!」と感じたのは私だけではなかったはずです。
再び雨足が強まり二次災害防止のため、住民の作業中止が告げられました。「後は、頼んだで!」と、現場を引き上げる住民の間からは、かすかな拍手さえ起こりました。しかし私の心には大きな住民の「喝采」が聞こえたような気がしたのです。
災害現場は、正に「沈黙」から「喝采」へと変わった瞬間でした。
こうした住民の変化は、何が原因だったのでしょうか。
思えば、危険だからただ避難するというのは、余りに受動的で達成感のないものです。
住民は自らの手で壊れた家を触り、泥をかき出すことによって「自分達も、災害に立ち向かっているんだ!」という「正義感」と「満足感」を覚えるものです。そのことが逆に苛立つ心を鎮めたのではないでしょうか。
「災害に強いまちづくり」とは、危険だからただ避難するという受動的なものではなく、むしろ「災害に立ち向い、行動する人づくり」だと思うのです。
目の前にある危機に対し「行政が何をしてくれるのか」ではなく「自分達で何が出来るかを考え、行動する」これからの自主防災活動には、こうした積極的な姿勢が求められると思います。
私は、ここで提案いたします。
六月二九日を「行動する市民防災の日」と位置付け、危機管理の重要性を広く住民にアピールするのです。
ハザードマップが公開され、住民自らが居住地域の危険性を認識出来る今が、危機管理意識を高めるチャンスだと思います。
「人づくり」とともに大切なのは、地域の「結束」です。
裏山をコンクリートで固め、土手を高くすることも「防災」には重要なことです。しかし「自主防災」の原点は、何よりも一人一人の住民が協力して助け合うという「隣保協同」「相互扶助」の精神だと思います。