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組織倫理の考え方

明治大学教授 中村瑞穂

 

一 はじめに

世紀の転換期にあたり、世界は激しく揺れ動いているが、わが国でも政治、経済、法律、文化、その他、社会のあらゆる分野にわたって、かつてない大きな変化が進行しつつあることが認められる。政党政治についていわれる「(一九)五五年体制」どころか、戦後五五年間を通して形成されてきた日本の社会構造の根底が大きく揺らいでいるとすら見ることができる。

それを象徴するかのごとき出来事の一つが大企業、官公庁、病院、学校など、社会生活の根幹をにない、社会全般に多大な影響力を有する組織体での業務の実態をめぐって、あいつぐ不正の摘発、関係者の処分が行われてきていることである。その種の報道のない日は一日としてないといってもよいほどである。

しかし、そこで問題とされている組織体の行為は最近になって突然に発生し、急速に増加してきたという性質のものではけっしてない。もちろん、いわゆるバブル経済の崩壊に始まる長期不況や、それに伴う社会不安が事件の激増の背景にあることは否定できない。とはいえ、問題の性質は、戦後復興期を乗り切ったあとの高度成長、そして到達点としてのバブル経済という、長い年月を通じて維持され強化されてきた経済最優先・貨幣重視・物質主義などの言葉で表現される社会の思想的潮流に根を有するものと考えられる。

それゆえ、問題行為の多くは今に始まるものではけっしてなく、かなり以前から存在し、その存在は関係当事者とその周辺はもとより、社会的にすらすでに承知されつつ黙認されてきたものである。

それがなぜ今になってことさらに重大視されるにいたったのか。そこに現在進行中の変化の根源がある。それは直接的には社会意識の変化であるが、その背景にあるものは情報通信技術の革新に支えられた、経済のみならず社会生活の全般にわたるグローバリゼーションの急速な進展にともなう、国際社会における共通ルールの浸透である。組織の閉鎖性、国家間の障壁は除去されて情報の公開が進み、あらゆる個人の権利が等しく尊重されるとともに、社会公共の眼から見ての公平で公正な判断と評価とが着実に力を得つつあるのを見ることができる。

そのような変化に対する各種組織体の認識がいまだ十分でなく、新しい時代への対応にいちじるしい遅れの見られることが、悪しき慣行の残存、不正の反復と蔓延を許し、社会の厳しい批判を浴びる現状を生むにいたっているものと考えられる。

このような状況の克服をめざすにあたり、これまでもすでに当然のこととして求められてきた組織体構成員各個人の道徳心、職業倫理、法律規則の遵守のそれぞれが一段と強く求められることはいうまでもないが、現に見る不正根絶の困難さはそれらをもってしてもなお埋めることのできない間隙の存在を示唆しており、そこに期待されることとなっているものが組織倫理にほかならないのである。

組織倫理の意味を理解するためには、まず、これまで組織体が組織的不正に対しどのように対応してきたか省みることから始めるのがよいと思われる。

 

二 「不祥事」への対処法

日本の企業において組織的不正が発覚し、違法行為が摘発された場合にきまって見られる情景がある。社長をはじめとする数名の上級役員が出席する記者会見の席で、用意された文書を代表が読み上げ、それが終わると全員が起立して深々と頭を下げる例の形式である。文書の内容も一様に、「このたびの不祥事により世間をお騒がせし、関係者にご心配とご迷惑をお掛けしたことを深くお詫び申し上げ、失われた信頼の回復に努める」といったものである。最敬礼とともにカメラのシャッター音が嵐のごとく起こり、それが鳴り終るまで礼は続く。その映像はテレビで放映され、新聞の一面をさえ賑わすこととなる。なお、それが国内のみならず海外にまで送られることになるが、他国の人々の目にはそれがきわめて異様なものと映り、日本人に対する不可解の念を一段と深めるもととさえなっていることをつぶさに実感したことがある。

ところで、このような場合に広く使われる「不祥事」という言葉には大きな疑問がある。その意味が抽象的には「よくないこと」ではあっても、具体的には「不幸なこと」、「不運なこと」、あるいは「災難」の意味であって「悪事」あるいは「不正な行為」を意味しているものではけっしてないからである。

 

 

 

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