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では、容認し得る安全性水準とはどういうものだろうか。社会として、人間は生きて行く上で止むを得ない要素としてリスクを受け入れる。クルマに乗る人は、毎年、多数の交通事故犠牲者が出ることを受け入れている。クルマも、バスも、電車も、飛行機も、考えられるどんな事故が起きようと、乗っている人を護ってくれるようには設計されていない。以下の表に、オーストラリア社会における代表的な事故死統計(オーストラリア統計局、1996年)と全世界の高速フェリーによる事故死統計(MARINTEK)を対比して示す。

 

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オーストラリアでは記録の示すところ、高速艇の事故でまだ一人も死者も出ていない。

社会は道路交通であれば非常に大きな犠牲でも受け入れるが、一度に多数の生命が奪われる(しばしば激怒要因と呼ばれる)ような惨事はなかなか受け入れられないようである。

興味深いことに、他の産業部門では、必要とされる安全規制の程度を決定するために、体系的なリスク分析に依存している。例えば西オーストラリアに化学プラントを新設する場合には、安全分析が実施される。自分の家の裏庭のすぐ近くが工場地帯になるのを望む人はあまりいないので、工場設置者は法令にしたがって、その工場の事故で住宅地区の住民に死者が出る確率を年間1名未満に抑えられることを立証しなければならない。この数値は通常の自動車事故の場合の確率よりもかなり低いが、それでも高速フェリーの事故による死亡率より100倍以上も高い。

 

結論

結論として、社会のために高速フェリーの高い安全水準を確保しなければならない。しかしどんな輸送システムでも、その利用がある程度のリスクを伴うことは、普遍的に認識されている。輸送に関する規則を策定するに当っては、容認できるリスクのレベルを決定し、負担できる程度の価格のサービスを得ることの社会的、経済的利益とそのリスクとを比較考量することが必要とされる。事故の80%は人的要因によるものであるから、新たな規則を起草するに当っては、この要因にもっと関心を払わなければならない。どんな安全システムも、それを利用する人々の能力以上に効果を上げることはできない。複雑性をまし、過度の規制を加えれば、船舶の全般的な安全性はかえって低下する公算が高い。船舶の運航者はその安全性に最も影響されるところが大きい当事者であり、安全システムの最終的利用者であるから、IMOコードの策定に当ってはその経過をもっと知らされ、またその意見をもっと求められて然るべきである(これは中小型船舶の運航者について特に言えることである)。恐らく高速フェリー運航事業者団体などが、その仲立ちをすることが可能であろう。

 

 

 

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