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当世高齢事情 NO.23

公証人 清水勇男

 

「金庫の鍵」

 

病室に飛び込んできた花江さんが、和恵さんにいきなり、

「ね! 2万5千円よ、2万5千円!」

「何がよ」

「金庫よ、金庫!」

「金庫がどうしたのよ」

「鍵屋に頼んで開けてもらったら2万5千円取られたのよ!」

「鍵屋はいいけどさ、あんたの旦那さん、たった今、息を引き取ったところよ」

「あ、そう」

「あんた帰って来ないんだもの、赤の他人のあたしが死に水とってやったのよ」

「どうもありがと。でもさ、2万5千円よ!」

「まだ金庫のこと言ってんの…」

末期がんで入院している夫眞一さんの容体が急変したという病院からの知らせに、花江さんは、自分独りじゃ心細い、一緒に来て、と友人の和恵さんに泣きついた。二人が病室に入ったとき、眞一さんの意識はすでになく、医師や看護婦のあわただしい動きから臨終が迫っていることがわかった。花江さんは、「ちょっと、家へ行ってくる、すぐ戻るから」と言い残して病室を出て行った。なかなか戻ってこない。眞一さんの呼吸が止まった。和恵さんを親族の一人と思った医師は、静かに臨終を告げた。和恵さんは、「花江ったら、もう!」と文句を言いながら、ガーゼで眞一さんの唇をぬらし、白布を顔にかけた。

 

 

 

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