今回のテーマを追う中で、残された家族の心境を代弁する時、やりきれぬ思いになった。取材を通じて遺族の声などから一番強く考えさせられたのが「自殺も一つの選択だったと認めてほしい」という痛切な訴えだ。
「今、自死ということを周りに言えないことが一番つらいです。ちゃんと受け止めてくれる社会になってくれることを心から願っています」とはやはりあしなが育英会に寄せられたある女性の言葉である。
生きたくても生きられない人が少なからずいる中で、自殺という行為はあまりにも短慮に映る。しかしそれによって、本人を、あるいは残された家族を否定し、疎外する理由にはならないだろう。あまりにも重い問いかけだが、本人なりに苦しんだ末の結果を批判してもすでに意味はない。必要なのはこうした社会のひずみを皆が受け止め、一人でも多くの人がそうした「選択」を思いとどまり、生きる希望を新たに持てるような社会にすべきだということではないだろうか。
最後に-
「個」が生かされる社会に
戦後、私たち男は社会とのつながりを仕事だけに求め、それに盲目的に邁進することで豊かになるという「幸せ」の指標を作った。しかし二一世紀を迎えた今、大人たちが自らその副作用に悩み、次世代の子供たちまでを苦しませている。