当世高齢事情 NO.21
公証人 清水勇男
黄色いハンカチ
「あ、おばあちゃん、ホラ、また黄色いハンカチ振ってますよ」
春江さん(91歳)は、看護婦さんに言われて病室の外を見上げた。道路1本隔てたマンションの7階の通路で、夫の又蔵さん(97歳)が黄色いタオルを振っています。
兵庫県・尼崎にあった和菓子の老舗「扇子屋(おうぎや)伊兵衛」の一人娘に生まれ、何不自由なく過ごせるはずだった春江さん。幼いころ両親が赤痢で相次いで死亡し、運命が暗転。親戚筋で相談の結果、奈良の油坂にあった和裁の師匠の家に預けられた。師匠は、帰るに家なく、きょうだいもいない春江さんを憐れみ、懸命に和裁を仕込んだ。春江さんは、脇目も振らず、針と糸一筋の毎日で、やがて娘時代を迎えた。
縁談は多かった。扇子屋の家名を自分の代で絶えさせるわけにはいかない。じっと待った。やがて5歳上の、小柄だがキビキビした若者が現れた。それが又蔵さん。網元の息子で、9人兄弟の末っ子。旋盤工見習いだった。西宮で結婚式を挙げ、妻の姓を継いだ。
やがて又蔵さんが東京・大田区(昔は蒲田区)萩中で大手の下請工場を任されるようになって、関東に移り住んだ。一男二女に恵まれ、平穏な生活が続くかと思っていたら、戦争に突入。長野県・諏訪に従業員共々疎開した。敗戦で東京は焼け野原。諏訪からつてを頼って横浜へ。腕の立つ精密機械工の又蔵さんは、引く手あまたで、仕事が絶えることはなかった。