市長を辞める決意をされた時、記者会見で「市長の代わりはいるけど、亭主の代わりはいない」と名セリフをはかれ、有名になりましたね。
いやーあ、何かえらいことになってしもうて。こんなに反響を呼ぶとは思わなかった。公務と妻の介護という二本立ての生活は限界というか、このままでは共倒れになると思って、決心したまでです。自然の成り行きですわ。
任期途中で辞めると、いいこと悪いこと、いろいろと言われたと思いますが。
何か後ろめたいことがあるから、辞めるんじゃないかと噂も飛びました(苦笑)。しかし、そんなことは全くなかったんです。在職中から仕事と介護のはざまで悩み、最後は自分一人で決断したんです。
まさに介護戦争の日々
奥さん、寝たきりの状態だったから、日常生活も大変だったでしょう。
介護の大切さは頭ではわかっていても、自分の身に降りかかってくるとは思わなかった。妻は九三年に骨粗しょう症に伴う骨折の手術で入院し、寝たきりの状態になり、在宅介護に移った後の九八年ごろにはパーキンソンの症状を起こしまして。床擦れになって、その手当ても大変。幸い息子の嫁さんや娘が近くにいて、手伝ってくれましたけど、食事の世話からおしめの取り替えまでやらなくてはならん。毎日、寝不足になって、朝の会議に遅れたり迷惑かけました。これではいかんと、ヘルパーを派遣してもらい、介護スケジュールを作って、朝食はぼく、午後はヘルパーに、夕方は娘たちと分担を決めて…。
介護戦争ですね。つらかったでしょう。最近、奥さんの状態は?
介護保険のケアプランでいえば、在宅サービスで一番重い要介護5のランクです。特養に入れようと思ったらできますけど、ぼくは在宅介護でいくつもりです。今は土日は一泊二日のショートステイ、ウイークデーは家族交代で介護、毎日気心の知れたヘルパーさんに来てもらっています。ショートステイはいいですよ。家族以外の人と付き合うと刺激があってよい。
奥さん、言葉が不自由なのでは?
近ごろは問いかけたら少ししゃべるようになった。笑顔も出てきました。リハビリの効果ですね。箸を持って豆を食べられるまで回復してきました。ぼく、時々気合を入れるんです。「もっと食べんとあかん」「しっかりせんかいな」と。しからないで、励ます、褒めることが大事ですわ。