以来五年以上にわたって事務局長として運営を切り盛りし、年間活動時間数三〇〇〇時間の団体にまで育て上げたのだった。
「ところがこの団体は、もともと“時間預託制度に重点を置いて活動をする”という理念のもとに設立されたのですが、時間の経過と共に時間預託よりも現金換金を希望する人が増えてしまいましてね。時間預託はもちろん大切だけど、それを強制することはできないと思っていたのですが、代表は、当初の理念が果たせないのなら活動する意味はない。それならば、いっそのこと活動を締めくくったほうがいいとの考えでした」
存続させるかどうかの最終的な決断は託されたものの、今の自分のやり方では代表者の思いに応えられないと判断し、齋藤さんは九九年の三月いっぱいでふれ愛センターを閉じる道を選んだ。
「ところがセンターを閉じると決めて、これまでの時間預託の清算や会員ヘセンターを終了する案内状の発送などの事務手続きに入ると、“やめてもらっては困る”“ここがなくなったら、一体どこに頼めばいいのか”といった声があちこちから上がりましてね。また、四月に出産予定という女性から、産後の世話をしてほしいとの依頼も入ってきてしまって。その理由が地元に知り合いもなく、両親は病気のために頼れないというのっぴきならない事情だったので、その方にふれ愛センターはなくなるので引き受けられないなどとは、とても言えませんでした」
こうした利用者の切実な声に押されて、一度は活動から離れるつもりだった齋藤さんも、ふれ愛センターを無事閉じることができたら、新たな気持ちで自分たちの会を立ち上げようと思い直したという。