病と向き合いながらの苦しい年月だったからだ。三九歳で乳がんの手術、抗がん剤による治療を続け、その五年後には肝硬変が進行し、たび重なる切除手術を受けた。今も定期的に病院で輸血をしながら自宅療養の身だ。この一年はやむなく休職した。
橋下先生はなぜお年寄りとの交流を思い立ったのか?
「これまで社会を支えてきてくださった人たちを、今度は私たちが支える番。生徒たちの手紙がひと時の心の慰めになればと思ったのです」と語る。その思いの源にあるのが、三九歳で病を得て、生命には限りがあることを自覚し、自分の弱さを知り、支えてくれる人の存在に気づいたことだった。
野の花の文集は生きている証
「生まれて初めて死を意識して人生観が変わりました」と橋下先生。中学、高校、大学を通して陸上部のキャプテンを務め、学生時代も社会人になってからも輝かしい選手生活を続けてきた橋下先生は、いつも自信にあふれていた。挫折を知らず、生徒にも「なぜできない」とガンバリズムを求める教師だった。それが病気を境に変わった。強いものに価値を置いてきた今までの自分に代わって、弱いものに目を向けている自分がいた。生徒に対しても、一人ひとりをじっくり見つめて、人間性を大切に育てる教育をしたいと思うようになった。
野の花の卒業生たちは異口同音に言う。「橋下先生は生徒のいいところを見つけ出す名人。こんないいところがあるじゃないか、これができるじゃないかと自信を持たせでくれました」と。誰にでも必ずいいところがある。それを認めて、伸ばすお手伝いをしてあげる。これが橋下先生の教育方針だ。そうすれば、消極的だった生徒も自信をつけて、明るく元気になっていく。
お年寄りとの交流を通して、学校では目立たない生徒がお年寄りには生き生きとやさしい表情を見せるのを橋下先生はたくさん見てきた。