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当時は食糧難時代で、特に動物性タンパク質に事欠いていましたから、魚や鳥を捕まえました。今ごろの季節は川岸のセンダンの木にヒヨドリやツグミなど国内の渡り鳥が渡ってきますので、それをうまいこと捕まえたりしました。ですから、動物性タンパク質を確保する役目を僕ら双子がやっていたわけです。そういうことでは全くの遊びではなく、半分は稼ぎをやっていたわけです。

映画ではちょっと大き目の穴のような所になっていましたが、子どもの手がちょうど入るくらいの川岸の小さな穴に手を突っ込んでドンコを捕まえました。ドンコは高知ではゴリと言います。穴には当然逃げ道があり、その逃げ道の穴にも手を突っ込んでおいて両方から押さえるようにして捕まえました。

双子ですからチームワークはいいですよ。「ゆきちゃん、こっちに突っ込めば、ここに大きいのがおるでよ。僕はこっちから突っ込むからね」と言って、うまいこと大きなものを捕まえました。「よかったね、こんな大きなの捕まえて。これをさばいて食べようね。2つに分けようね」、「じゃあ、今度はお姉ちゃんの分だ」などと言って、チームワークがよくうまくいった時にはいいのですが、双子というのはうまくいかなかった時はすごく憎み合うものです。「また逃げた。ゆきちゃんがボーとしちょるきに逃げたんよ」、「アホ言うな、せいちゃんがいらんことするきに逃げたがろうがよ」、「そういっていつも人のせいにする」、「ゆきちゃんこそ、いっつもボーとしていてなんちゃせんだろがよ」、「そんなことするき、僕がせっかくこうやって一生懸命やるよりが全部ダメになる」、「せいちゃんがすぐそういうこと言うんじゃったら、もう捕まえた魚、全部川へ捨てちゃるわ」と捨ててしまったり。そしてふたりで泣きながら帰ってくることの方が多かった気もします。

捕まえた魚が手の平の中で暴れると、すごく力強く暴れます。もちろん大きな魚ほど力は強いですから、グリグリグリグリという感じです。この感触は今でも忘れていない、というよりか、僕は60になりましたので52〜53年前の話ですが、全く昨日のような感じです。手をこうやって握ると、今でもあのゴリが暴れまくる感じがここに残っています。これは52〜53年間一度もどこへも行かずに、ここにあり続けています。大きい魚ほど逃げられやすいですから、「押さえた」と、この裸の胸にグッと押しつけておいて、バケツのあるところまで行くわけです。バケツは土手の上に置いてあるので、それまでは川の中を(高知の言葉で)ぞぶっているときツルッと逃げられるのです。ですから、大きいのを押さえたという喜びと、また逃げられるかもしれないという不安の両方が、小さい心臓をはさみうちにしている感じで、喜びと不安との間で心臓がドキドキしている感じが今でもここにあります。

そして、うまいことバケツのところまで持っていって、バケツの中に入れると、力余ってグルグルとバケツの中で回るのです。「ゆきちゃん、来てみいや、太いぜよ」と言うと、征彦が走ってきて「ほんとに太い。すごいね、こりゃ。2人で半分こして食べようね」などと言って、それからテナガエビを捕まえて、10分もしないでバケツの所に来てみたら、さっきの大きな魚がもう死んでいるのです。流れの中にいた魚がよどんだバケツの水の中で、しかもブリキのバケツに熱い太陽があたる。10分ももちません。さっきあんなに暴れた魚が死んでいます。僕の『絵の中のぼくの村』という本の裏表紙にドンコ(ゴリ)の絵が載っていますが、丸い胸びれ・背びれ・尾びれが、死ぬと細くなってしまいます。そして、体全体の色も何となく変わってきます。もちろん目の色も変わってきます。そうしますと、今見たいきいきしたゴリの感じが、命がどこかに行ってしまったと同時に、何か別のもののような感じがするのです。それはすごいショックというか、ひとつのものが失せてしまう悲しみというのは、もちろんもう60を過ぎた僕には今ではそれほどショックではないと思いますが、10歳前後の小学校にも入って間もない子どもにとってはものすごいショックなのです。命がなくなった。さっきまであんなに暴れたあの命がどこに行ったのだろう。征彦は涙をぼろぼろバケツの中へ落としています。「なんで死んだの、ゴリは」などと言って、「寝ているのじゃないかね」と指で突っついても、もう死んだ魚は元に戻らない。

 

 

 

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