◆ 映画『絵の中のぼくの村』
午前中に映画『絵の中のぼくの村』を見ていただいた方もいらっしゃると思います。まだご覧になっていない方は、大きなレンタルビデオ屋さんならばあるそうなので、ぜひご覧になってください。
映画自身は僕がつくったわけではありません。ご覧になった方には説明する必要はないと思いますが、東陽一さんというすぐれた映画監督がつくられて、すばらしい映画になっています。ベルリン映画祭の審査員が「まるでフランス映画を見るような」という評価をしたそうです。
今、バイオレンスや、激しいカーチェイスや、めちゃくちゃな爆発などの特殊映像を使った映画が氾濫している中で、しっとりと落ち着いた、その代わり子どもたちや若者には何も起こらないと思える映画かもしれませんが、心にしみとおってくる素晴らしい映画だと思います。
音楽はカテリーナ古楽合奏団という、中世ヨーロッパの楽器を使う、バイオリンやピアノがなかった時代の古楽器を使った演奏で、すごく印象的な、素晴らしいものです。中世ヨーロッパの音楽が1940年代の高知の片田舎の雰囲気とぴったりと合っているという、面白いことに気がつきました。
◆ 高知での少年時代
僕は小学校に入る1年前から小学校5年生の夏まで春野町(当時は芳原村)に住んでいました。高知からトンネルをくぐれば15分で行ける場所ですが、当時は峠を越えて1日がかりでてくてく歩いていくか、1日に3往復くらいしかないバスで長浜を回って高知のはりまや橋まで来るという所でした。
僕は一卵性双生児なので、征彦(ゆきひこ)という同じような奴がもう1人いました。いまだによく間違えられるのですが、その征彦と1日中、川で魚を捕まえて暮らしていました。
川といっても、この会場のすぐ正面を流れている鏡川のような大きな川ではありません。鏡川も名前のとおり美しい川だったのですが、最近は汚れて、夕方になって上げ潮になるとかなり汚らしいです。僕が住んでいた春野町(当時:芳原村)では、下流域の川ですので、田んぼや沼から流れ出た水がゆっくり流れている川でした。山をひとつ隔てて、諸木村(現:春野町)という海辺の村がありました。夕方になると上げ潮が始まり、魚を釣っていると青い魚や真っ赤な魚が釣れたりして、名前もよくわからなくてびっくりしました。そういう所で育ちました。
川の中で魚を捕まえることは遊びというわけではなく、もちろん仕事というわけでもないのですが、捕まえてそれを家に持って帰り、さばいて塩をして高知の強い日光に干すとおいしくなります。それを焼いて両親や姉に食べさせて、僕らももちろん食べました。父はめったに人を誉める男ではなかったのですが、小さなウナギを捕まえて蒲焼きにして1人3cmくらいずつを5人家族で分け合って食べたりすると、父が「征彦や征三がこうやっておいしいものを捕まえてきてくれるから、お父ちゃんも幸せだな」と言って誉めてくれました。そうすると一家を支えているような気分になって、「よし、明日もまた大きなものを捕まえてこよう」などと思いました。