(安達) 先程言いましたが、私たちが小学生の頃は、体育の時間に海水浴で海に行っていたのです。
けれども、現在は埋め立てになり、岸壁になってしまいました。島があって、ちょっと船で行って魚や貝をとり、そこでご飯を炊いて皆が遊ぶようなことができたのですが、今では、そういうことが近くでは全然できなくなっています。
これは漁業者が賛成してしたことですが、やはり魚や貝が育つように少しは残しておいてもよかったのではないかと思います。
(ケビン) 今までにやったものに対して反対するより、これからどうすればよいかを考えた方がよいのではないかと思います。
やろうと思えば、例えば、川の三面張りでも、もっと広い面積をとって斜面を緩くすると植物も戻ってくるし、海辺もいったんコンクリートで岸壁をつけたものも、沖の方に石を入れて、海岸線のコンクリートを撤退させて元に戻すことができるのです。
(安達) そうですか。
(ケビン) でも難しいです。
三浦さんは、どうでしょう?そういう自然型の河川改修は建設省の事業でしたか?
(三浦) はい、そうです。先程もいいましたが、県の冊子の中でそういった情報がありましたので、うちの村も対象にならないかと問い合わせをしたところ、5万人以上の人口のある都市を流れる川が対象だとのことでした。
本来、都市の中の自然というのは管理された自然で、もうどうしようもないと思うのですが、できるところからするという発想ではないかと思うのです。まだ自然が残っているところは後回しということでしょう。
今、経済もスクラップ・アンド・ビルトで、つくれば壊すの繰り返しで発展していると思うのです。バリアフリーということで、せっかく作った階段を壊してまたスロープにするとか、要するに国がそうして経済とつながっているのではないでしょうか。内需拡大といった国内の経済を考えたうえで、土木の方に仕事を回すためにも、いつの時点か、三面張りにした水路も「自然を取り戻そう」というきれいな言葉を使ってもう一度造り直すのでしょう。
(ケビン) 小さな川は建設省ではなく農林水産省の管轄です。農林水産省にも同じような考え方はなかったでしょうか。あれは農地改良事業でしょうか。
(三浦) そうです。
要するに、今までの自然に対する国の考えは「治山・治水」、山を治める、水を治めるという発想です。そうして自然災害から住民を守るということが基本にありますから、その余力と言っては語弊がありますが、その後で「親水」ということが、今ちらほら出てきています。それが先程言ったように、公共事業でも取り組めるというか、また違う仕事を作っていくというパターンだと思うのです。
(ケビン) 「親水」という言葉もよいですが、ひとつ欠けていることは「生物的多様性」だと思うのです。川にしても海辺にしても、たくさんの生き物がすめるところは、基本的に自然の生態系が成り立っているという証拠です。ですから、そういう川や海辺に人間も接触するとより楽しいはずです。
鵜飼さんの活動は蛍のすめる川ですが、海辺の方では、こういう生き物や植物がある自然がよいという考えはありますか?例えば、スナガニのいる浜とか、ハマエンドウが生えている浜とか。
(安達) この近くではないですが、海浜公園の千畳苑にハマナスかハマユウか何かの花が咲くのではないでしようか。
(鵜飼) 石見海浜公園ですね。江津よりの波子地区に近い方の海岸にあると聞いています。
千畳苑を中心にした下府の海岸には生える余地がありません。ごみはたくさん捨てられますが、生物が育つ余地はないのです。
先程少し触れましたが、魚は正直です。川をきれいにすると、半分ぐらいの所までボラが上ります。