でも、日本の場合は一方通行がものすごく強いです。しかし一方では、都会の人がアウトドアのキャンプ場遊びなどにあこがれて、週末に大きな四輪駆動、ジープなどに乗って、川に行ってテントを張ってキャンプをします。日本人の心の中には自然とのつながりや自然の中にいたいという気持ちはけっこう強いので、将来日本でも、都会から田舎に行く人がだんだん増えてくると思います。
アメリカは非常に流動的な社会ですが、日本は地方に行くと閉鎖的な面が非常に強いと思います。そういう地方の都市や町、村で暮らしていて、よそから来る人を受け入れる気持ちはどうなのでしょうか。漁村の方は特に閉鎖的なイメージが強いのです。漁業権の問題もありますが、やはり未来にはそういうふうに人々が行ったり来たりするようになると思うのですが、どうでしょうか?
(安達) 今言われたように、漁業権などの問題もありますので一概に言うことはできませんが、乗組員として都会から家族連れで来られている方は多少おられます。
浜田ではないのですが、町内会に入られ、家族ぐるみで町内会の人と交流をしていく面で、最初はよい具合にいっていたようだと言っておられましたが、結局奥さんがストレスがたまったようで、帰られた例もあります。
しかし、続いている方もおられます。
やはり閉鎖的な面は強いのかもしれません。
(ケビン) 今は情報化の時代になり、例えば、ホームページを作っている町もけっこう多いので、それを見てそこに住みたいという気持ちになる人が将来は増えてくると思うのです。
では、少し話題を変えます。大賀さんという方から質問がありました。
行政に頼んで、公共事業として、三面張りにされた川を元に戻せないのか?
つまり、地元の建設業者もいるし、日本の地方・田舎ではまだ土木建設が重要な産業だから、一気に完全に公共事業をやめられるわけはないですが、逆に、破壊された環境を公共事業を通してもう1回元に戻せないか、ということです。
非常にすばらしい質問だと思います。ずっとたくさんの人を養ってきた日本の自然が、終戦後40〜50年の間に、公共事業という国の政策によって一気にガランと変わったことが、日本の環境問題の一番根本にあると思うのです。
まず、終戦後の国の政策で、林業ではすべてスギかヒノキかサワラの針葉樹の植林にしなさいという指示があって、それによって日本の山の林が一気に変わってきたのです。
それと同時に、本当に山の奥の奥の所から始まって、ずっと川をコンクリートで三面張りにして、そして海辺に来ると、先程の安達さんの話にもありましたが、どこでも過保護な波受けを造って、海岸線をずっとコンクリートにしてしまったのです。
こういう政策の結果として、日本の自然が再生力、自分をきれいにする力を失ってしまいました。
例えば、日本の海辺には、もっともっとたくさんの浅瀬がありました。その浅瀬に大量な貝類が住んでいて、二枚貝がプランクトンや海の汚れを食べるので、それによって海の水は絶えずきれいになっていったのです。
また、どの川にも、両側の縁に植物が生え茂っていました。ヨシやマコモなどの水生植物です。その植物もやはり川の水をきれいにしていたのです。
でも、鵜飼さんの写真にもありましたが、三面張りの川になると、人々が川に直接触ることができなくなるのです。また海岸沿いにずっとコンクリートの岸壁を並べると、人々が海岸に接触できなくなります。そしてその人々は、当然、川や海岸に対しての意識が薄くなってくるのです。つまり、日常生活からそれが消えてしまうのです。
ですから、この質問のように、これからの公共事業はできるだけ元の形、元の姿を取り戻すのが何よりも一番重要だろうと僕は思いますが、他の方はどうでしょうか?
安達さん、海の方はどうですか?